なぜ原発被害者は帰還しないのか(原発避難者のおかれた現実)

2012-12-06

第1 なぜ原発被害者は帰還しないのか(原発避難者のおかれた現実)
1 2011年3月11日東日本大事地震それに引き続いておきた福島第一原発事故が発生してから、既に1年10ヶ月が経とうとしています。しかし、原発事件の被害者の帰還は進んでいません。それはなぜなのでしょうか、
2 論者によっては、賠償金が欲しいので帰れるのに帰らないのだという人もいます。しかし、そうなのでしょうか。避難者の相談を受けている弁護士の経験から避難者のおかれた現実を報告します。避難者は帰還したくとも帰還できない困難な現実が山積しているので帰還できないのです。
3 他方、低線量地域の場合、帰還している人たちがいます。その人たちの決断が誤っているというつもりはありません。ただ、帰還する・しないの決定は避難者の自己決定によるべきであると思います。
第2、以下、避難者が帰還したくても帰還できない現実を福島原発避難訴訟の記述を借りて説明します。
1 まず、放射能に対する危険
本件事故により広範囲地域に膨大な放射性物質が放出されました。この放射能は,大気,土壌,地下水,河川,海洋などの環境中に大量に放出し,人々が生きて行くための環境をことごとく汚染しました。この放射能汚染は,現在もなお継続しています。例えば、国会事故調によれば,本事故で大気中に放出された放射性物質の総量は,ヨウ素換算(国際原子力指標尺度〔INES評価〕)にして約900PBq (ヨウ素:500PBq,セシウム137:10PBq)とされています、チェルノブイリ原子力発電所の事故におけるINES評価5200PBqと比較して約6分の1の放出量です。
確かに、以前に比べると定点観測点の線量は低くなってきました。しかし、定点観測点の数値は除染がされた地域の値であり,大多数の実態を正確に示しているとは言い難いように思います。除染が行われていない地点や,(空間ではない)地表における線量は依然として高いレベルにあります。実際,避難者の一時帰宅に随行させていただいたことがあるのですが、ほとんどの地域が,定点観測点の数値よりも高く,貯水池や樋等の線量にいたっては付近の空間線量の数十倍でした。
特に小児の放射線感受性は高いといわれています。子どもを抱えた家族が帰還するのは著しく困難です。様々な事情で帰還した家族も,子どものためにこれでよかったのか,不安と後悔の念に苛まれている状態です。
2除染の困難
放射能問題と関連して除染が進んでいません
(1) 除染の実態
まず、除染は学校・公園について,地表5cmの表土を重機で剥ぎ取り,上から新しい土壌を被覆します。家屋について,落ち葉等の除去,高圧洗浄,草刈,下草の除去,表土の削り取りをします。道路・側溝について,高圧洗浄と草刈,汚泥,落ち葉の除去,側溝の堆積物の除去といった方法でなされています 。森林については,林縁から20m程度の落ち葉等の堆積有機物の除去,枝葉等の除去をします 。
(2) 除染の問題点
ところが、除染には大きな問題があります。
a 仮置き場問題
まず,除染は大量の放射性廃棄物を発生させるので,その処分のために,仮置き場,中間貯蔵施設及び最終処分場が確保されなければ,除染を開始することができません。しかし,中間貯蔵施設や最終処分場の立地が困難であることから,一旦仮置き場の場所に指定されると永久化されません。そこで、仮置き場の確保ができず,除染計画は著しく遅延しています。
仮置き場が決まり,除染が開始された所でも,大量の放射性廃棄物を置く場所が決定的に足りず,廃棄物は野ざらしになっている所もあります。そのような廃棄物に防水シートを被せても
例えば、ストロンチウム90の半減期は28.8年、セシウム137は30年といわれていますので放射能汚染が発生する可能性は高いと思います。
b 除染方法の限界
高圧洗浄による除染は放射能を拡散させているだけです。実際,高圧洗浄で取れる放射性物質は自然の降雨でもう流れてしまっているのでますます意味がありません。さらに,高圧洗浄は大量の放射能を含む排水が発生させます。これを浄化する必要がありますが、浄化には莫大な費用がかかります。
農地・森林の表土をはぎ取る方法による除染にいたっては,広大過ぎて費用がかかりすぎます。却って,表土流出による土砂災害の可能性があります。しかも,年月の経過により放射性物質が落ち葉から落ち葉の下の土に移動している場合もあります。堆積有機物や枝葉等を除去しても,効果が上がらないことさえありま。
3 生活環境の崩壊
(1) インフラの崩壊
被害者らが生活していくためには,上下水道,交通網の整備・復旧,学校・病院の再開,職場・商業施設の復旧といった社会生活を営むための条件を満たす必要があります。
しかし,現状は,例えば、上水道は崩壊したままである。また,水道から放射能が検出されている。交通網も主要幹線道路は徐々に復旧しているものの,一旦,主要幹線道路を外れると交通困難で見通しは立っていない。一旦、スーパーなど施設が再開されても、経営難で閉鎖を余儀なくされてしまう場合もあります。
学校は,再開されたところもありますが,大半の就学児童は戻っていません。
例えば,広野町の帰村者は総人口5246人中(2012〔平成23〕年8月31日現在),約1割程度(493人)です(同年9月29日現在 いずれも広野町ホームページ)。しかも,そこには,避難先と自宅の二重生活をする人も含まれている。
川内村は3000人中1000人が戻ったとホームページに載っていますが、二重生活者が多く、完全に戻っている人は400人程度にすぎません。
(2) 雇用の喪失
帰還しても雇用がありません。原発関連の雇用はありますが、いずれ終了していく一時的なものであり,将来性はありません。しかも、原発によって生活がめちゃめちゃにされてしまったのですから、再度、原発関連の仕事に就くことには抵抗感があります。それでも背に腹はかえられず、原発関連の仕事をする人たちはいます。しかし、村や街に帰ろうか帰るまいか考えている若者・働き盛りの年代は,帰ったら原発関連の仕事ばかりであると知ったら戻る気になるでしょうか。
4 住居確保の困難
避難者は戻りたくても帰る家がありません(家が傷んで住めない)。例えば,浪江町避難住民の聴き取り報告 によると,自宅が津波や地震で半壊していた家は,カビや小バエがわき,豚や猫などに荒らされ,雨漏りがあった家については天井や床が腐り,居住は不可能なほど崩壊が進んでいる。被害者らには安心して帰る家がありません。
東電の提示する賠償額では、事故前と同じような家を建てることは到底不可能です。
5 安全宣言・事故収束に対する不審
政府は,安全宣言をしています。しかし,依然として放射線量は高いです。例えば,東電発表によれば2012(平成23)年10月28日現在,福島第一原子力発電所モニタリングポスト空間線量は,事務本館南側で211μSv/hです(正門は20μSv/h,西門は7μSv/h)。
内閣府自身が、「現在、1~3 号機の原子炉建屋より最大で見積もって毎時0.1 億ベクレルの放射性物質が放出されています。これは、敷地境界付近で年間に0.03mSv の追加的な被ばく線量となっています。放出されている主な放射性物質は、セシウム134および137となっています」と明言しています(浪江町説明会)。
破損した原子炉の現状は詳しく判明していません,今後の地震,台風などの自然災害に果たして耐えられるのか、わからりません。今後の環境汚染をどこまで防止できるかも明確ではないのです 。仮にそのことを措いても,東電発表のロードマップが,順調にいっても廃炉まで数十年以上かかります。帰還すれば,原発事故の危険性と生涯にわたって向き合わなければならないのです。そのことを思うと帰還することを躊躇うのは当然のことであると思います。
6 家族崩壊の危機
帰還困難な理由として,帰還することで家族がばらばらな状態で固定してしまうという懸念があります。すくなくとも子ども連れの中には,放射能に汚染されていた地域に戻ること控えることが多いです。事故前までは孫から祖父母まで一家族が同居あるいは近くで生活していた人たちの中には,祖父母だけが戻り、若い親子は戻らないという事態が生じています。例えば,福島大学災害復興研究所が,2011(平成23)年8月以降福島県双葉郡8町村の全世帯を調査した結果 によれば,「戻る気がない」と答えたのが26.9%で,特に34歳以下で52.3%に達していました。他方,高齢者は帰還の希望が強いです。これで戻ることを強行すれば,家族が分裂して崩壊する危険があります。祖父母にとっては,いつでも自分の子どもに会えるという安心感をもち,あるいは孫に会えることを楽しみに生きてきました。しかし帰還することにより,それが不可能になってしまいます。
7 時間の経過による帰還困難
数年経過すると地域によっては,放射線量が表面的には低下して表面的には帰還が可能であるという地域が出てくるかもしれません。
しかし,事柄はそのように単純なものではありません。すなわち,日々生活していかなければならない避難者にとって,数年にも及ぶ避難生活の時間は帰還するにあたって大きな障害です。いかに着の身着のまま追い出されたとしても,避難先で生活があり,その生活が数年にも及んだ場合,避難先での仕事があり,人間関係があり,子どもの教育があり,そのようなしがらみの中で生活をしていきます。帰還するとはこれらの生活関係を一切清算することであり,これは容易なことではありません。
仕事に関しては,農家の主婦は,5年もたつと畑に木が生え,農作物を作ることは困難になると嘆いています。そして,調査において,震災前と震災後で変化したものは何かとの問いに対しては,「全て」,「何もかも」と答えた人が多かったです。やることがなく,健康状態が悪化し,家族が離散し,避難先では子供がいじめられたり結婚差別をされたりするのではないかとの不安を抱えています。また,趣味や生きがいを失い,近所や家でのくつろぎを失い,思い出の場所を失いました。そして,放射能への不安も大きいです。
例えば,事業をしている人間にとって,数年のブランクは決定的です。帰還をまって事業を再開するには遅すぎます。避難先で再起を期せざるをえません。勤労者にとっても,安定した収入を得るためには,臨時的な仕事をしているのではなく,避難先で長期的安定的な職場を探さざるをえません。そのようにしてようやく見つけた仕事を放棄して,帰還して新たに同じような条件の仕事を見つけることは困難です。
以上が、避難者が帰還したくても帰還できない事情の一端です。
再度、繰り返しますが、町や村に帰還している復興に努力している人たちもいます。その人たちの決定に水を差すつもりはありません。決断が誤っているというつもりはありません。しかし、帰還する・しないの決定は避難者の自己決定によるべきであると思います。政府や自治体などが決めるべきものではないと思います(良)。

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