長谷川伸または死んだ仲間の魂が良心の導き手であること

2012-11-29

長谷川伸の歌舞伎(刺青奇偶)をみていたく感激し、映画評論家佐藤忠男の長谷川伸論を再読したことがある(苦労人の文学1978年)。30年くらい前に買った本だ。本の後ろのメモには「ともに悩むものとして」というメモがある。佐藤は苦労人として山本周五郎や吉川英治をあげている。また、ぼっちゃんの文学として太宰治や日本浪漫派をあげている。それはともかく、佐藤は、長谷川が日本人の倫理観をよく理解しているとして、死んだ仲間の魂が、良心の導き手であることを指摘している。たとえば、戦中世代であれば戦争で死んだ知人友人たちの存在が自分のモラルの支えであることなどである。そのことに合点がいく。神は信じられないが、信頼していた人の期待を裏切らないとか、信頼していた人が何を望み、何を期待したのか。折にふれて考えることによって、良心の声が聞ける。加藤周一の自伝(羊の歌)にも似たようなことが書かれていたと思う。この話は面白くて合点がいく。

むかし、政治思想の話で、良心の自由の確立過程について、徹底的に神に従属することによって、かえって、神を含めて外界の何者にも従属しない内心の自由が生まれたということを読んだことがある(「近代の政治思想」福田歓一)。神はいないのであるから、神の声を聞くということは、実は、心の深奥にある自分の声以外何者でもない。神を掘り下げることによって、らっきょうの皮むきのように神がいなくなってしまい結局自分自身がでてくるという。この話も面白いが、どうもキリスト教的な背景があり、ぴんと来ないところがある。

これに対して、死んだ仲間の魂が良心の導き手であるというのは、神というよくわからないものを引き合いにださないので納得がいく(良)。

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