アイヒマンはお前だ、または、映画「ハンナ・アーレント」

2013-12-23

 話題の映画をみた。
 内容については下記映画紹介に譲るとして、あらゆる非難罵倒をものともせず自分の信念を曲げない主人公は颯爽としている。このことには誰も異論は無いだろう。600万人のユダヤ人が殺された記憶がさめやらぬ1960年、悪は外にあるのではない、内にあるといってのけたアーレントがユダヤ人社会から轟々たる非難を浴びたのはわかる話である。収容所を生き延びたユダヤ人がアーレントを許せなかったのは無理もない話である(アーレント自身も一時は収容所にいたことがあるが)。もっとも、当時は異端の説でも、今日は通説である。
 しかし、この映画の主人公はなんといってもアイヒマンである。裁判の映像記録は強烈である。その悪びれず、真面目そうで几帳面な態度には強く印象に残る。そして、「上からの命令に忠実に従うアイヒマンのような小役人が、思考を放棄し、官僚組織の歯車になってしまうことで、ホロコーストのような巨悪に加担してしまうということ」(下記からの引用)というのは私自身の経験から見ても合点のいく話である。
 というのは、過去、幾つかの戦後補償事件(遺棄毒ガス事件注1、中国人百人斬り競争事件注2等)に参加して戦争犯罪を調査する機会があった。例えば、終戦直後、日本軍がどさくさにまぎれて中国に毒ガス弾を遺棄した結果、戦後幾つもの毒ガス事件が発生した。また例えば南京虐殺事件に関連して日本軍兵士による中国人百人斬り競争事件は身の毛もよだつような凄惨な事件であった。
 しかし、中国で毒ガス弾を遺棄した兵士も、百人斬り競争をした兵士も、加担したのは多分、普段はごく普通の人だったように思える。
 実際、毒ガス弾を遺棄した兵士の方に裁判で証人になってもらったことがあり、証言の裏付けのために遺棄した毒ガス弾の現場を探すために中国にご一緒させていただく機会があり、親しくさせていただいた。偶然、私の父親と同い年で、本当にいいおじいさんであった。旧兵士の方は、毒ガスについて知識があり、遺棄することは国際法違反であることはわかっていたが、命令であり、終戦直後のどさくさでどうしようもなかった。実際、末端の兵士に何ができただろう。しかし、戦後永く自分が加担した毒ガス遺棄のことを悩み続けていた。
 百人斬りの兵士については、処刑されているので間接的にしかわからないが戦後裁判において、アイヒマンのように無実を訴えている。そして、自分は悲劇の人間であるとしている。家族あての手紙は切々として胸をうつ。どうして、戦争中ヒーローだった兵士自身が百人斬りを行ったという講演、幾つもの百人斬り競争のインタヴュー記事、同僚兵士の目撃記録などがありながら自己の行為を否定できるのか不思議に思っていた。しかし、主観的には普通の兵士がしたことをしたに過ぎない、なぜ、自分ばかりが非難されなければならないのかということになるのだろう。
 上記事件の性質は大きく異なるが、「悪は狂信者や変質者によって生まれるものではなく、ごく普通に生きていると思い込んでいる凡庸な一般人によって引き起こされ」(下記からの引用)という点で類似性があるように思う。
 しかし、これはひとごとではない。凡庸で、権威主義的なところがある私はアイヒマンに自分自身を発見する。時に大義名分に寄りかかり惰性で行動している自分自身がいることを意識する。アイヒマンにならなかったのは、たまたま平和な時代に生まれてきたという偶然からではないか。さすがに、百人斬り競争はしないだろうが、毒ガス弾の遺棄はその場に居合わせた兵士の立場であるならば、命令に従いごく自然にしていただろう。他人事ではない。アイヒマンはお前だという声がどこかから聞こえてくる。
 アイヒマンにならないためにはアーレントのいうとおり、自分自身との静かな対話が必要なのだろう。そして、静かな対話の後には、激しい闘いを覚悟しなければならないだろう(もっとも、毒ガス弾の遺棄の場合、末端の兵士に何ができただろう)。
 蛇足ながら、アーレントの親友としてメアリーマッカーシーが登場する。懐かしい名前である。赤狩り時代のアメリカで良心を守ったというエピソードを書いた「眠れない時代」を書いたリリアンヘルマンを嘘でぬり固めた作家と痛烈に非難罵倒した批評家である。私は「眠れない時代」にいたく感動したので、仮に嘘で塗り固めたものであるとしたら、これに感動している自分は何なのかと思ったものだ。英語の苦手な私は両者の言い分を比較検討することができずそのままになってしまったが、懐かしい(山森)。

注1遺棄毒ガス事件
日本政府に対し,旧日本軍が中国に遺棄してきた毒ガス・砲弾の被害による損害賠償を請求していた事件
http://www.suopei.jp/related_infomation/poison-gas/

注2中国人百人斬り競争事件
百人斬り競争とは、日中戦争(支那事変)初期の南京攻略戦時に、日本軍将校2人が日本刀でどちらが早く100人を斬るかを競ったとされる行為である。当時の大阪毎日新聞と東京日日新聞、鹿児島新聞、鹿児島朝日新聞、鹿児島毎日新聞において報道されたが、事実か否か、誰を斬ったのかを巡って論争となっている。また遺族を原告とした名誉毀損裁判が提訴されたが、訴訟については毎日新聞、朝日新聞、柏書房、本多勝一の勝訴が確定している。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%99%BE%E4%BA%BA%E6%96%AC%E3%82%8A%E7%AB%B6%E4%BA%89

以下、映画のオフィシャルサイトからの引用
誰からも敬愛される高名な哲学者から一転、世界中から激しいバッシングを浴びた女性がいる。彼女の名はハンナ・アーレント、第2次世界大戦中にナチスの強制収容所から脱出し、アメリカへ亡命したドイツ系ユダヤ人。
1960年代初頭、何百万ものユダヤ人を収容所へ移送したナチス戦犯アドルフ・アイヒマンが、逃亡先で逮捕された。アーレントは、イスラエルで行われた歴史的裁判に立ち会い、ザ・ニューヨーカー誌にレポートを発表、その衝撃的な内容に世論は揺れる…。
「考えることで、人間は強くなる」という信念のもと、世間から激しい非難を浴びて思い悩みながらも、アイヒマンの<悪の凡庸さ>を主張し続けたアーレント。歴史にその名を刻み、波乱に満ちた人生を実話に基づいて映画化、半世紀を超えてアーレントが本当に伝えたかった<真実>が、今明かされる─。

悪の凡庸さ
アーレントがアイヒマン裁判のレポートで導入した概念。上からの命令に忠実に従うアイヒマンのような小役人が、思考を放棄し、官僚組織の歯車になってしまうことで、ホロコーストのような巨悪に加担してしまうということ。悪は狂信者や変質者によって生まれるものではなく、ごく普通に生きていると思い込んでいる凡庸な一般人によって引き起こされてしまう事態を指している。

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