荒地または黒田三郎についてとりとめもない話
2016-01-24
「荒地の恋」という題名の本が出版され、テレビ化されている。私の好きな鈴木京香が主演しているので興味がそそられ本を手にしてみた。詩の同人誌「荒地」を背景に田村隆一、北村太郎をモデルにした小説であることがわかった。が、二人とも令名高いがあまり知らない。むしろ「荒地」といえば、黒田三郎である。今も時々言及されることのあるこの詩人は。私にとってもっとも大切な戦後詩人である。何をいっているのかさっぱりわからない詩が多い中で、平明な文章で、わかった、という気にさせてくれる数少ない詩人である。そして、心の襞に迫ってくる。「ひとりの女に」、あるいは、心温まる「ちいさなユリと」など内容はほとんど忘れてしまったが、読んだときの感覚は残っている。
はっきり覚えていないが、黒田に一度だけお会いしたことがあるように記憶している。黄色っぽい顔をして顔色が悪かった。しばらくたってから亡くなったという新聞記事を読んだように記憶している。今、黒田の年表をみてみると36年前の1981年61歳でなく亡くなっている。少し調べてみると、黒田について詳細な感想を記している記事をみつけた。食品会社の会長である(http://www.nisshoku.jp/12948.html)。自分と同じように感じている人がいるのはうれしい。娘のユリさんが父親について書いている記事を紹介している。家族にとってはアルコール中毒の困ったお父さんであったらしい。しかし、その書き方は優しい。また、荒地の詩人たちの多くが戦争の生き残りであり、黒田もその例外ではないことを知った。黒田は私の父と1年違いの大正9年生まれである。平凡で心優しかった父のことを思い出した。父も戦争から生きて帰ってきた。黒田と父親が重なって見えた。取り留めもない話である(山森)
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