助けること・助けられること。

2015-12-26

我が子(大河内清輝)をいじめで自殺させてしまった父親が、その経験を世間に公表する(NHK それでも話してほしかった ―いじめ自殺 21年目の対話―)。

自殺した子供と同じような境遇にある子供たちから大きな反響がある。子供たちは辛い経験を父親に語ることによって、辛い現在の状況を支える心の支えとする。

この番組で胸打たれたことは、父親はいじめを受けている子供たちの力になりたいとおもっていながら、そのことは同時に自分自身が子供たちに助けられているということである。

父親は死なせてしまった息子のことでいっぱい・いっぱいであったところ、全国から困難な状況にある子供たちの心情を綴った手紙を大量に受け取り、自分の息子だけの問題ではないことを知り、私憤から公憤を感じるようになり、その後20年以上にわたり、いじめの問題に取り組むことになる。我が子を自殺させてしまったのは、父親にとって痛恨の出来事である。しかし、起きてしまったことなので元に戻すことはできない。父親は我が子を助けることはできなかったが、我が子と同じような境遇にある子供に手紙を書き、元気づけることによって、我が子を助けることのできなかったことの代償行為としていたのではないかと思う。そのことによって、父親もまた助けられていた。

そのような話が好きである。そこで、思い出したのは、ずいぶん昔読んだ「無菌病室の人びと」(赤塚悦子 集英社文庫)である。概ね以下のような話である。新米の女医が重症の白血病の患者の治療にあたっていた。医者は当時、家庭内でごたごたを抱えており、何度か自殺を考えていた。しかし、「私が明日、彼女を診察に行かなかったら、きっとがっかりするだろう。私が急にいなくなったら、何十人かの血液の患者さん達にも迷惑がかかるだろう。どんなに辛くても、私は生きて頑張るしかないのだ」、と思い、自殺を思いとどまった。女医は離婚して、仕事を続けていく元気を取り戻し、患者は10年の闘病生活の末、亡くなる。医者は患者を助けているようでいて、実は患者から助けられていた (山森)

 

以下、NHKの番組紹介文である。

それでも話してほしかった ―いじめ自殺 21年目の対話―

2015年7月14日(火曜)再放送2015年7月21日(火曜)

アンコール放送2015年9月30日(水曜)再放送2015年10月7日(水曜)

1994年11月27日、愛知県西尾市の中学2年生・大河内清輝君が、いじめに耐えかね自ら命を絶ちました。いじめを受けていることを誰にも言わなかった清輝君。しかし、自殺から4日後に見つかった遺書には、壮絶ないじめの数々が記されていました。遺書には書けなかったことが他にもあったのではないか。なぜ何も話してくれなかったのか。父・祥晴さんは新聞に遺書を公開し、社会に問いかけました。すると祥晴さんの自宅には、全国から1000通もの手紙が寄せられました。手紙をきっかけにいじめに苦しむ子ども達との交流が生まれ、そのつながりは20年が過ぎた今も続いています。いじめとは何なのか。子どもはなぜ苦しみを胸にしまい込んでしまうのか。大人はなぜ気付いてあげられないのか。祥晴さんと子ども達、いじめをめぐる対話の日々を通して探ってゆきます。

 

 

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