どこかで聞いたことのある話、または、従軍慰安婦報道について朝日不買運動
吉田清司が慰安婦を強制連行したという証言を撤回したこと等に関連して朝日新聞の不買運動が展開されている。
確かに、吉田清司の証言は怪しい。しかし、従軍慰安婦について軍が強制的に関与していたことについては、田村泰次郎の「蝗」「裸女のいる隊列」などを読めばあったといわざるを得ない。田村は5年間中国戦線に従軍した小説家である。例えば、「裸女のいる隊列」によると日本軍が現地で女性を拉致して輪姦し、裸で連行し殺してしまうといった身の毛もよだつようなことを日常的におこなっていた部隊がいたことは否定できない。田村の小説を裏付ける証言として同じ中国戦線を従軍した近藤一の「ある日本兵の二つの戦場 近藤一の終わらない戦争」がある。
誤報は訂正しなければならないが、廃刊せよとか不買運動というのは理解しがたい。
ところで、不買運動といえば、思い出すのは、80年以上前の満州事変のときの大阪朝日に対する不買運動である。軍部に対して批判的な姿勢をとった大阪朝日新聞に対して在郷軍人会などが中心となり不買運動をおこなっていた。そのような状況で、関東軍の謀略で始まった満州事変に対し大阪朝日は転向し支持を表明した。その後、朝日他新聞・通信社は軍と協議して論調の統一につとめ、満州国を支持し、国際連盟を批判し、国論の統一に手を貸した(昭和時代戦前戦中編 p207読売新聞社昭和時代プロジェクト 中央口論社)。ちなみに、新聞は国論の統一に手を貸したためか部数は順調にのび、粛々と戦争への道を拓いた。転んでもただでは起きない時流に迎合した新聞の姿勢には驚嘆する。しかし、軍国主義と歩調を合わせた新聞を読まざるを得なくなった国民はいい面の皮である。軍の謀略を見抜いた新聞人はさぞ無念であっただろう(より詳しくは前坂俊之 太平洋戦争と新聞 講談社学術文庫p69~)
自分の考えと合わないことに対して相手を批判することは当然である。しかし、不買運動といったかたちで相手の息の根を止めようとすることが何をもたらしたのか歴史が教えてくれる(山森)。