肢体不自由児を相手にして良心に恥ずかしくないかまたは松本保平のこと

2014-08-11

NHK「ETV特集」 戦闘配置されず~肢体不自由児たちの学童疎開~は実に面白い番組でした(8月16日再放送予定)。内容について、下記番組自身の紹介に委ねますが印象にのこったことが4点あります。  
 まず、日本で最初に開校した肢体不自由児の学校・東京市立光明学校校長松本保平の使命感です。自分が子供ら守らずして誰が守るのだと、都会内疎開、長野県に疎開、施設の確保、移動、終戦後の対応等で様々な献身的な努力をします。
 つぎに、衝撃的なことですが、当時、障がい者教育は無駄なものとみられていたことです。
例えば、市立光明学校に近隣の国民学校から参観に来ました。その際、近隣の人から「いま日本は非常時です。こんな子供達(肢体不自由児)を相手にして、酷寒の満州で同朋が苦労しているところで、良心に恥ずかしくありませんか。立派な施設をお国のために役立てたらどうです。こんな子供たちを教育するのは無駄だ。非国民だ」といわれて非難されたそうです。国民学校の先生もこれに同調したということです。「良心に恥ずかしくありませんか」というのはきつい。どうして、そんな言葉を浴びせかけることができるのか。お国のために役立つことが価値であるとするならば、障がい者の教育は無駄だ、ということになりかねないのでしょうか。
(この点、カントであるならば、子供たち自身に価値があるというのであろうが、功利主義に関心のある私としては、もう少し別の説明ができないかと思います)。
 さらに、制度の建前と実際の乖離。肢体不自由児は実際のところ、学校に行きたいのであるが、実際に受け入れる態勢がないので就学免除を申請せざるを得なかったとい現実です。出演者は就学免除申請を書かざるを得なかったときの悔しさをかたっています(それを市立公明学校ができたので入学できた!ことの嬉しさ)。
 最後に、救いとなることは、元肢体不自由児の子供たちの元気さです。言い尽くせないさまざまなハンディや苦労があったのでしょうが、番組に登場する80歳くらいの元子供たちは、車いす・酸素ボンベ姿で苦しそうにしている人もいますが、結構皆元気そうです。詳細は分からないが、年月を経ることによって次第に、回復していったとみるのは楽観的すぎるでしょうか(実際に子供のころは脊椎カリエスだったが、大人になって治ったというひとがでてきます)。人間は可変的なものであるということ、障害をもっていても、それを克服できる場合もあるということを、身をもって証明してくれているような気がします(山森)。

以下、NHKの紹介です
NHKEテレの「ETV特集」で戦闘配置されず~肢体不自由児たちの学童疎開~
太平洋戦争末期、空襲による被害を避けるため、国が大都市の児童約60万人を農村地帯などに一時移住させた「学童疎開」。
実施されてからことしで70年がたつ。近年、それにまつわる数多くの資料が見つかり、学童疎開の知られざる側面が明らかになってきた。
肢体不自由児たちの集団疎開である。

日本で最初に開校した肢体不自由児の学校・東京都立光明(こうめい)特別支援学校では、数年前から古い文書や撮影フィルムが相次いで発見されてきた。
そこには、昭和初期の開校当時から戦後に至る学校生活の様子が記録されている。
戦中から戦後にかけて校長を務めた松本保平さん(故人)が残した手記には、肢体不自由児の境遇をめぐるさまざまな出来事と思いが生々しくつづられていた。

国による学童疎開の対象から外された不安と憤り。しかたなく校庭に防空壕を掘り、都心部から通う子どもたちと教師が校舎で共同の避難生活を送ったこと。
それを他校の教員から非難され、子どもたちを非国民扱いされた屈辱。
そして、自力で疎開先探しに奔走した苦労・・・・・・。
最後に校長は問う。「光明学校が育ち盛りを過ごした太平洋戦争とは、一体何であったか」-。

肢体不自由児はなぜ学童疎開に不適とされたのか。校長と子どもたちは何と戦ったのか。
残された手記と記録フィルム、卒業生たちの証言から、肢体不自由児たちの生きた戦争を見つめる。

(内容59分)

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