ウ 関係児童生徒側の否認 エ 周囲の児童生徒は中立の第三者か
「いじめ重大事態調査委員(いわゆる第三者委員)となる方のために」の連載記事です。目次とあわせ,お目通しください。(小池)
ウ 関係児童生徒側の否認
法律家による通常の事実認定に足りる程度に証拠が十分ならば,学校において「行為」を認定できるのは当然です。当該児童生徒の供述が唯一の証拠だったとしても,「行為」の認定が可能な場合もありうるでしょう(是非については議論があるでしょうが,被告人が否認していても実質的に被害者供述のみを証拠として有罪とされた痴漢事件などもあります。)。
当然ながら,関係児童生徒側が否認していることだけで「行為」の存在の否定に直結させるべきではありませんし,ましてや「行為」が「なかった」とまで認定すべきではないでしょう。(「行為」が「あったとまではいえない」「あった可能性がある」はニュアンスの違いこそあれいずれも灰色ですが,「行為」が「あった」は黒色,「行為」が「なかった」は白色になりますので,使い分けには注意していただきたいと思います。)
さらに,関係児童生徒が否認している上に客観的証拠がない場合,指導に慎重さが必要なことは当然の前提ではありますが,当該児童生徒の供述の信用性,関係児童の否認が単に記憶にないことにとどまるか否か,当該児童生徒と関係児童生徒との力関係やこれらを巡る人間関係,児童生徒の日常の行為,その他の事情を総合的に考察した上で,「行為」を認定し,これに基づき関係児童生徒に厳しく指導することは可能でしょう。(ただし,いじめ防止対策推進法が組織的対応を求めていること,恣意的判断は避けるべきことからすれば,こうした認定を個々の教諭が行うべきではなく,しかるべき組織(いじめ防止対策推進法第22条)により行われるべきでしょう。)
エ 周囲の児童生徒は中立の第三者か
たとえ関係児童生徒が「いじめ」の存在を否定したとしても,周囲の児童生徒がこれを認める場合には,「いじめ」を事実として認定するということは妥当といえます。
これに対し当該児童生徒がいじめの存在を主張しても,周囲の児童生徒がこれを否定する場合に,いじめがなかったと認定するということは不当です。
なぜなら,いじめが存在する場合,周囲の児童生徒は共謀者,同調者,傍観者として指導を受けるべき立場にあることが通常でしょう。
しかも,通常の場合関係児童生徒は当該児童生徒より力関係で上位にあるのだから,関係児童生徒が周囲の児童生徒に圧力をかけ,あるいはそこまでしなくとも周囲の児童生徒が関係児童生徒を忖度する可能性は十分に認められます。
いじめがなかったと認定する場面においては,周囲の児童生徒は中立の第三者とはいえないでしょう。