無学な話または「悪臭を悪むが如く、好色を好むが如くす」。
畏れ多い話であるがどうも「大学」金谷治解説(岩波文庫)を読んでいて腑に落ちないところがあった。
例えば、白文
①所謂誠其意者、毋自欺也。
②如悪悪臭、如好好色。
③此之謂自謙。
④故君子必慎其独也」。
その書き下し文は
①所謂その意を誠にするとは、自ら欺く毋き(なき)なり。
②悪臭を悪む(にくむ)が如く、好色を好むが如す。
③これをこれ自ら謙く(こころよく)すと謂う
④故に君子は必ずその独りを慎しむなり」
これを金谷解説によれば、
①	自分の意念を誠実にするというのは、自分で自分をごまかさないことである。
②	例えば、臭いにおいを嫌うように、美しい色を愛するようにするのだ。
③	そのようにすることが、われとわが心を満ち足りたものとすることになる。
④	そこで、君子はからず内なる己自身を慎んでおさめるのである。
      ④	はわかったような、わからないような文章であるが、特にわからないのは②である。「美しい色を愛するようにする」とは何か?奥歯がはさまったようで抽象的である。他の本を読んでみると島田虎次(朝日文庫)は「視覚が美しい色を好んでどうしても獲得しようとするごとく」、矢羽野(角川文庫)は「美しい色を好むように」でわかったような、わからないような表現である。
これに対して諸橋轍次(講談社学術文庫)は「美人を好むように善行を喜び、好むがよい」とある。端的でこれならばわかる。やはり漢学者は上品なのか。
結局、納得できる訳は以下の通りである。
①	自分で自分をごまかさないことである(金谷訳)。
②	人は悪臭を嫌うように悪事を嫌い、美人を好むように善行を喜び好むがよい(諸橋轍次訳)
③	その時にこそわがこころは満ち足りて愉快を覚える(矢羽野訳)。
④	自分に誠実か、自分を欺くか、その分かれ目は、自分ひとりだけが知っていることなので、君子は自分だけが知っている境地を心を誠にして欺かない(矢羽野訳)		                                                               (山森)






