隣人としてのADHD・LD

2013-02-12

1 精神的な障害をもっている人の相談を受けたり、弁護したり、交渉したりすることがあります。そのような時になかなか思うようにコミニュケーションがとれず困ることがあります。そんなこともあって精神医学の番組を聞くことにしました(放送大学 精神医学特論)。最近、児童・青年期の精神障害として学習障害(LD)・注意欠如多動性障害(ADHD)・自閉症などの解説を聞いていました。日頃曖昧にしていた知識が整理されるようで嬉しくなってきました。
 ちょうど、同じ頃、NHKの福祉番組「ハートネット」で「Our Voices」のコーナーで「発達障害 苦手なことは克服すべき?vs.ありのまま受け入れる?」という特集番組があり見てみました。学習障害(LD)・注意欠如多動性障害(ADHD)などの発達障害の人たちが勢ぞろいしてのトーク番組です。これが面白い。しかも、身につまされました。
 例えば、自分の障害をありのままに受け入れるという人もいました。元新聞記者、現在フリーのジャーナリストの人は、子供時代から、算数ができない、片付けができないとして、いじめられて辛い目に遭ってきました。しかし、あるとき、生徒会の応援演説をする機会があり、それが、非常にユニークで人気を博しました。応援された人も当選できました。それが、一つのきっかけで自己の優れた表現能力に開眼し、この人はこれを伸ばすことに専念してきました。記者時代も非常に発想の面白い記事を書き好評でした。いまは独立して活躍しています。しかし相変わらず、片付けはできず、事務所は散らかったままです。この人曰く、苦手は目をつぶる。得意分野を伸ばすことに専念する。うっかり苦手を改善しようとすると地の底まで落ち込んでしまうということです(その人について、話を聞く分にはいいけど、自分の身の回りにこのような人がいたら嫌だなという評価がありました。これももっともだと思います)。
 また、例えば、苦手なことは克服すべきと考える人の話もありました。あるADHDの人は、忘れっぽいのを克服するために、必要なものはいつも身につけている。しかも同じ場所でといった工夫をしていました。これはまさに私自身のことではないか。また、コミニケーションの苦手を克服するために、いろいろな本を読みマニュアルを作って対応したというのです。パターン化すれば「空気」の7割は読めるというのです。相手を知るために質問項目をつくって、場を持たせる工夫をしている等、なるほどと思いました。学ぶべきところが多くありました。
2 ところで、この人に対して、他の発達障害の人から、それでは、発達障害の人のよさをなくしてしまうではないか!という批判がでたのは、さらに驚きました。
 なるほど、障害は克服すべき側面があるが、他方、その過程で、発達障害の人の持っている優れた面を失わさせてしまう面があることに気づかされました。実際、この番組の参加者はみな魅力的な人たちばかりでした。論者によるとアインシュタインやモーツアルトなども発達障害なのだそうです。失礼な言い方かもしれませんが、「普通」の人が集まったらこんなにも面白い話が聞けたかどうかわからないと思いました。  
 私が、障害のある人に接する場面は、民事事件や場合によっては刑事事件という厄介な状況にある場合ばかりでした。普通の人だって、落ち込んでしまう局面です。況や、障害のある人が落ち込んでしまうのは当然のことでしょう。しかし、それは一つの局面であって、別の隠れた膨大な面があることに思いを致すべきでした。いままで一面しか見ていなかったような気がして自分の視野の狭さを思い知りました。
 その番組見て発達障害についての見方が少し変わりました。別に精神科医の講義が間違っているわけではありません。しかし、見る立場によって、こうも異なるのか、少し視野が広くなったような気がしました。

Copyright(C) Shonan-Godo Law Office. All Rights Reserved.