障害は個性である及びそこから連想したこと
障害は個性であるといわれる。抽象的には理解していたつもりであるが、少し具体的考える機会があった。障害はそれだけで特別視されるのは変だが、無視するのもおかしい
盲目の人がマイクに頭をぶつけた。こういう場合、笑っていいかどうかという話題があった(障害者のバラエティ番組「バリバラ」NHKEテレビ)。
賛否両論があったが、普通の人がマイクに頭をぶつけてもおかしい。盲目だからといって笑わないのは不自然ではないかという意見が、私には一番説得力があった。盲目という点だけを取り上げて、その人を判断するのはおかしいが、その人が盲目であることを無視するのはかえって変だ。
ここで、話は飛躍するが、民族で差別するのはおかしいが、民族の違いを全く無視するのもおかしい。
何年か前に大阪の小学校に乱入して生徒を何人も殺して死刑判決をうけて執行された殺人者がいた。最近、その人の精神鑑定書を読み、在日の人であることを知った。世間で注目された事件であり、結構、新聞やテレビはみていたつもりであったが、鑑定書を読み、初めて在日であることを知った。
そこで、新聞やテレビは自己規制して民族的な出自について報道しなかったのではないだろうかという疑念が生じた。
この点、新聞の見落としはあったかもしれない。いくら何でも紙面の片隅ではふれていただろう。また、こういった問題に積極的な週刊新潮や週刊文春などであれば、報道していただろうが、私は読者ではないので知りようがない。
しかし、かなり世間の注目を集めた事件である。鑑定書を読むまでまったく気づかなかったというのは、私がぼんやりし過ぎているのか、それとも、こういった局面では民族問題について触れてはいけないという暗黙のルールが報道機関の中にあるのではないか。どんなもんだろう?(山森)