親になるということまたは赤ちゃん縁組
2013-11-27
偶然、テレビをみていたら、養育を放棄された子供の里親になる人の家族の紹介をしていた(NHK「赤ちゃん縁組みで命を救う」)。
赤ちゃん縁組みは捨て子を助長する等様々な批判はあるが、現に幸せそうにしている親子の様子をみていると心が和む。
ある里親は、親にさせてもらっているという言い方をしていた。思いがけない言葉に驚いた。翻って、考えると、自分が里親の立場になったら、孤児のために親になってやるという気持ちになったのではないか。自分の価値観が透けて見えたような気になった。
また、里親であることを子供に説明することを真実告知という。里親以外の者からいわれると子供は傷つくので、なるべく里親が子供に説明するようにすべきとのことである。そのように重要な真実告知なので、いつどこでも子供に聞かれてもまっすぐにこたえられるように練習をするという。里親は真剣に練習している。練習しながら泣き出した。これにも驚いた。実の親ではないと告白することにより子供に衝撃を与えないようにする里親の心情を思うと胸が熱くなった。
ある程度、大きくなってから養子になった幼児にみられる症状に親試しというのがあるという。養子が里親のことを本当に親なのか試す行動のことのようである。具体的には血がでるほど噛みつく、度の過ぎたいたずらをして里親を困らせる行動を行う。子供が、里親に対してそのような酷い行動をとるのか、よくわからないが、仮に、本当に親を試しているのであるならば、そのようにしてまで、里親が自分のことを本当に愛してくれるのか試す幼児の切ない心情を思う。親の愛情を自明のものとして育った子供にとって、親を試すまでもない。里親を試そうとする幼児の心の背景を思った(山森)。
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