白蓮夫人または石橋湛山の目配り
2014-06-17
朝の連続テレビドラマ「アンと花子」をみていたら、主人公の親友として仲間由紀恵が柳原白蓮を演じていた。
柳原白蓮とは筑豊の炭鉱王の妻であったが、法学士と家出をした人であり、大正時代のスキャンダルである(なお、私がみた時点ではまだ炭鉱王と結婚していない)。テレビドラマが好評なせいか、最近、白蓮夫人について言及されることが多いように思う。
白蓮夫人というと反射的に、思い出すのは、石橋湛山の「白蓮夫人の家出」(大正10年10月29日「小評論」 石橋湛山評論集 岩波文庫)である。当時の大スキャンダルであると思うが、石橋の筆致は優しい。「十五や、十六の小娘ではない。金の味も、権勢の味も、はたまた世間というものを十分わかった女が、金を棄て、権勢を棄て、世の非難をも顧みず家を出て、あるいは情死しようというのだ。それまでには非常に苦しみ、悩みがあったと察してやらねばならぬ」。「と同時に、吾輩は、その夫だった人々にも、事のそこまで至るには、いうに言われぬ苦しみ悩みがあったであろうと想像する」。出奔した妻と夫の双方の立場を思いやり、「些かの疚しさも感じずに、他人の家庭を罵れる者があるだろうか」として自戒している。この一文を読んで、石橋のことが好きになった。石橋の帝国主義批判は素晴らしい。植民地は倫理的に悪いという前に、そもそも利益にならないのだという石橋の小日本主義には胸が空く思いがする。加えて、こういった目配りができる石橋は信頼できる人である(山森)。
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