存在しない地図または満州開拓民入植図
2014-04-25
テレビのドキュメンタリー番組で満蒙開拓平和記念館(http://www.manmoukinenkan.com/)のことを知った。そこで、博物館の出版物である満蒙開拓民入植図と「証言 それぞれの記憶」を入手した(各500円)。地図にはかつて存在したが、いまは存在しない開拓村の名前が詳細に記載されている。村の名前は現在どんな地名になっていることか。その地名の変更の裏側には、無数の人々の激動の歴史が刻みつけられている。●印は一般開拓団、▲印は義勇隊開拓団、■印は義勇隊訓練所の所在ということになっている。資料によると20万人の農業青年を、2万人の家族移住者が送り込まれたらしい。さまざまなところで語られているが、概算20万人の人々の終戦時の混乱を思う。機会があれば方正県にある日本人公墓に行きたいと思う。ここには5000体近くの死者が葬られているという。
また、「証言」を読むと、帰国した開拓団の人たちは行き場がなく、戦後さらに日本国内の条件の悪いところで再度開拓事業に従事した人が多いことがわかった。これも尋常ならざる苦労である(山森良一)。
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