原爆投下の意味について
「戦争が続いていれば自爆特攻で死んでいるんですね。どうしても私の命の代わりに広島の人が死んだと言う思いが体に染みついている」。
船舶特攻隊員で、原爆投下直後の広島に救援に行った兵士の言葉である。被ばくし、放射能の後遺症に苦しんだろうが戦後を生き延びることができた。
日本の指導者は太平洋戦争末期、戦争に勝てないことがわかっていたといわれる。しかし、いまさら負けるとはいいだせず、しかも、一億玉砕と強硬論を主張すればアメリカから譲歩をひきだせると考えて戦争を継続したともいわれる。
これはチキンゲームの考え方からすると合理的である。チキンゲームとは、別々の車に乗った2人のプレイヤーが互いの車に向かって一直線に走行するゲームである。激突を避けるために先にハンドルを切ったプレイヤーはチキン(臆病者)と称される。
一億玉砕するぞと日本がアメリカに主張し続ければ、アメリカはひるみ、譲歩を引き出せるだろうだろうと考えるのは合理的だ。
しかしそのためには一億人の命が賭けの対象になった。しかも、アメリカは原爆を発明して、使用して、日本のチキンゲーム戦略を超えた。
そうすると一億玉砕戦略を放棄させたものとして原爆の重要性が浮かび上がってくる(併せてソ連参戦)。結果として、広島と長崎は、日本人が一億玉砕させられることを防いだのかもしれない。原爆投下は正当化できないが、広島と長崎が一億玉砕を防いだという側面は否定できない。その考えは恐ろしいが無視できない(山森)。
以下番組の紹介文である
原爆救護被爆した兵士の歳月
原爆投下直後、市民救助を命じられた兵士たちがいた。炎と煙の中、負傷者を救い出し無数の遺体を葬った兵士たち。戦後、放射能の影響が疑われる体調不良に苦しむが、差別や偏見を恐れて口を閉ざした。大多数が被爆者手帳を取得しなかったため“埋もれた被爆者”となっていく。やがてガンなどを発症するが、原爆症認定の壁も厚かった。爆心地での救護活動の実態と、被爆地から遠く離れた故郷で暮らす元兵士たちの苦難の戦後を描く。
出演者ほか
【語り】光岡湧太郎