利己主義と利他主義を調和させる仕組みまたはバガンの人々
NHK特集でミヤンマーのバカン遺跡について特集していた(10月23日http://www.nhk.or.jp/special/asia-iseki/bagan.html)。3000もの寺院と仏塔が存在するのは壮観である。
しかし、もっと驚嘆するのはどうしてこのような3000もの寺院が作られたかである。以下の経過があるらしい。
まず、仏教に帰依した王が功徳をつむために寺院を建てた。功徳を積めば来世で幸せな生活をおくることができる。そのために寺院を作るのであるが、作るために莫大な労賃を払うので、地元の人はこれで潤う。
そのうち、財をなす人が現れ、その人もまた寺院をつくる。その過程でたくさんの寺院が作られる。地元に金がおちる。
その過程で3000もの寺院ができたらしい。
現在でも例えば、息子を出家させようとする人がいる。15年かけて110万円を貯めたのだという。出家の儀式を行う。自分の功徳を積むためである。自分の息子だけでなく、親戚縁者お金のない人併せて26人の得度もまとめてやる。これも自分の功徳を積むためである。自分の利益のために行動する。それが社会のためにも役立つ。このシステムはすばらしい。もっとも、どこかで聞いた話である。そうだ。アダムスミスの見えざる手の議論ではないか。普遍的な考えなのかもしれない。
もとより、各人は自分自身のためだけに行動しているわけではないだろう。利他的な動機もあるだろう。案内人が巨大な仏像をみて、仏陀に見つめられているような気になるというが、地元の人には日常的な感覚なのであろう。ただ、それだけで、行動を説明することには無理がある。各人は他者のためにとともに、自己の利益(来世に行く)ためにも、善行を施し、自分も満足し、社会にも貢献する(山森)。