人民の記憶またはゴジラ・ベ平連・ガザ空爆
ダルマさんのような評論家鶴見俊輔は大きな目玉でこちらをぎょろりとにらみつけながらいう。
「いったいどういう風に人民の記憶に残っているのか、それが知りたいんだ。それが歴史学の課題だと思う」(NHKBS「日本人はなにをめざしていたのか」第2回鶴見俊輔2016年7月)
その話を聞いて思い当たることがある。
まず、最近60周年ということで放映された初代「ゴジラ」である。ゴジラは、空襲がモチーフになっているという(映画評論家川本三郎)。なるほど、そういわれて映画をみると、ゴジラの去った後の東京の惨状や病院の混乱状態は、太平洋戦争中のアメリカ軍の爆撃で10万人が殺された東京大空襲後の状態を彷彿させる。初代ゴジラがつくられたのは1954年(昭和29年)で、戦争が終わってまだ10年たっていなかった。ゴジラが大きな反響をよんだのはひとつには空襲についての人民の記憶が確実に残っていたからではないか。
また、鶴見自身が大きく関わり番組でもとりあげられた市民運動「ベ平連」(ベトナムに平和を!市民連合)である。ベ平連が結成されたのは、1965年である。この年アメリカはベトナムで北爆を開始した。戦争が終わって20年しかたっていなかった。太平洋戦争中のアメリカの空襲を経験している人が多くいた。結成に関わった人はアメリカがベトナムを爆撃するという報道を聞いて、太平洋戦争中の空襲を思い出し、いたたまれない気持ちになったという。その気持ちは多くの人に共有され、周知のように日本における大きな反戦運動になった。人民の記憶は確実に残っていた。
ところで、現在、イスラエルはハマス退治を大義名分にガザを空爆している。連日、被害が報道されている。日本の放送よりも、外国の放送、特にアルジャジーラなどをみているとこれでもかこれでもかという具合に報道している。ただ、申し訳ないが、何か現実感がなくて他人事のように思えてしまう。イスラエルのガザ空爆報道を聞いて、いたたまれないとは感じていない自分を意識する。戦後70年を経て空襲についての人民の記憶は薄らいでしまったのかとも思う。
しかし、ベトナム戦争は終わった。同時代に進行中なのはガザである。必要なのは人民の記憶をどのように喚起するかである。そうしないと直接経験した人が死んでしまえば、人民の記憶はなくなってしまうことになる。歴史とはそんなものではないだろう。人のことはいい。自分自身の問題として考えたい。これは最近の集団的自衛権をめぐる議論にもつながると思う(山森)。