九州大学生体解剖事件またはダッハウ強制収容所のこと
九州大学生体解剖事件について、もう一つ思い出したことがある。
テレビで紹介されて興味深かったのは事件についての九州大学医学部歴史館の扱い方である。テレビの説明によると、事件の概要と謝罪表明というかなりお座なりのあつかいしかしていないということで批判的であった。現在の医学部長はカルテなど第一次資料があれば文句なく掲示したのですかということであるが、戦犯に問われて事件を隠蔽しようとしているのである。カルテなどは真っ先に隠滅されたであろう。無理な話である。
そこで、思い出したのは何十年か前に訪問したことのあるドイツ・ミュウヘン近郊のダッハウ強制収容所跡記念館である。行って拍子抜けしたことを覚えている。アウシュビッツ強制収容所跡の記念館にように、人間から作った石鹸その他生々しい実際の犠牲者についての展示があると思っていた(もっとも行ったことはない)。しかし、ダッハウは写真が沢山あるだけで、実際の犠牲者の遺骨等はなかった。
思うに、ドイツ国内で強制収容所跡の記念館を作ることがいかに抵抗があることか。写真の掲示でもすることについて大きな抵抗があったのではないか。そのような抵抗の大きさを考えると、強制収容所の実体についてあまり生々しくすることはできなかったのではないか。
そして、同じように、九州大学医学部の歴史記念館でも、生々しく生体解剖にふれることはむずかしかったのだろう。
他方、とにもかくにも、触れることができた意義は小さくないだろう。
確かに、一般常識として、遠藤周作の「海と毒薬」などの作品が巷間に流布していることからみて、九州大学医学部の歴史を考えるにあたって、この事件に言及しないということは、大学医学部の誠実さをうたがわせてしまうだろう。
しかし、生体解剖のあった当の九州大学医学部において生体解剖に触れることがいかに難しいことか。現在の医学部は、戦犯たちの孫弟子か孫孫弟子たちであろう。また、九州に対する連日の空襲で住民は皆いきり立っていたであろう。実際は、捕虜になるまえに、住民に撲殺された米兵もいたいうことである。当時は殺して当然という雰囲気があっただろう。そのような特殊な雰囲気の中で起こった事件なので過大視すべきでないという意見もあるだろう(話は横道に逸れるが米兵達の何人かは住民たちに殺されてしまったが、日露戦争に従軍した元兵士が、捕虜は殺してはいけないと体を張って助けたケースがあったという。その勇気に感銘する)。そうすると、反対を押し切って、不十分ではあっても事件に触れたことの意義は小さくないというべきか(山森)。