格物致知、または、「らいは不治にあらず~ハンセン病 隔離に抗した医師の記録」(NHKETV特集)

2016-05-04

 絶対隔離の反対した小笠原登の記録である。当時の法律によればハンセン病患者を発見した場合、通報し、施設に送らなければならなかった。これに合理性がないとして学会で異論を唱えたが受け入れられなかった。確信のある小笠原はハンセン病患者を敢えてハンセン病と認定せず、施設送りに抵抗した。その確信の強さに感銘する。
 ところで、ハンセン病といえば、隔離政策の推進者の代名詞となった光田建輔である。光田と小笠原の違いは何であろう。なぜ、小笠原の臨床研究を光田は受け入れなかったのか。自分の知をくまなく押し進めることで物事の究極まで到達することに足りなかったためでではないだろうか。あるいは、絶対感染を阻止するという光田の価値判断が、患者の人権を無視したのか。
 振り返って、光田は他人事だろうか。たとえば、今悩んでいる低線量被爆の問題について光田の立場にたっていないだろうか。恐ろしくなる(山森)。

以下番組の紹介である。
ハンセン病患者の隔離を定めた「らい予防法」の廃止から20年がたつ。多くの患者を苦しめた「絶対隔離」という誤った政策。その闇を検証する上で重要な資料が最近見つかった。元京大医学部助教授・小笠原登の日記や書簡である。小笠原は「らい菌は伝染性が弱く治療も可能」との信念から国の隔離政策に異を唱え独自の治療実践を行っていた。なぜ小笠原の説は主流にならなかったのか。発見された文書や関係者の証言を基に検証する。

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