原発避難児童へのいじめについて-学校,教育長,第三者委員会の対応等

2017-02-08

 東京電力福島第一原発事故で福島県から避難した児童が転入先の横浜市立小学校でいじめられていたことが,問題となっています。
 この問題に対する学校の対応,教育長の発言,第三者委員会の認定等について私が書いた記事が弁護士ドットコムニュースで掲載されました。
「弁護士ドットコムニュース」

 弁護士ドットコムニュースとしては異例の長さですが!,これでも書き足りていません!!
 元々書いていた文を下に貼り付けますので,よかったらお読みください(小池)。

1 はじめに
 東京電力福島第一原発事故で福島県から避難した児童が転入先の横浜市立小学校でいじめられていた問題に関し,横浜市教育委員会岡田優子教育長が本年1月20日の同市会常任委員会で,同児童が金銭を支払っていたことについて「第三者委員会が金銭授受をいじめと認定していない。結論を覆すのは難しい」「(市教育委員会が)今調べてみても,いじめだと認定できない」などと発言したことが批判されています。
 このことについて,いじめ防止対策推進法を現場での実践に生かしたいという立場から,考えてみたいと思います。

2 いじめを広く定義
(1)広く定義した趣旨
2015年に制定施行されたいじめ防止対策推進法(以下単に「推進法」といいます)は,いじめを「児童等に対して,当該児童等が在籍する学校に在籍している等当該児童等と一定の人的関係にある他の児童等が行う心理的又は物理的な影響を与える行為(インターネットを通じて行われるものを含む。)であって,当該行為の対象となった児童等が心身の苦痛を感じているもの」と定義しています(2条)。つまり,ある行為がいじめに当たるかどうかの判断は,対象となった子どもが感じた心身の苦痛を重視して行うものとしています。
 これまでのいじめによる自殺等の痛ましい事態においては,「遊びの中で起きたこと」「被害者にも問題があった」「喧嘩に過ぎない」「ささいなことである」などとして学校にいじめとの認識が乏しく,子どもの苦痛に目を向けた適切な対応がなされていないことが多くみられました。
その反省に立ち,上記のいじめの定義は,被害者目線を重視し,本来支援されるべき子どもを対象からこぼしてはならないという趣旨で定められたものです(国会審議参照)。
(2)具体的対応は学校の判断に
このようにいじめを広く定義した以上,いじめには犯罪と評価すべきものから親切心から出た行為まで含まれることになります。
そのため推進法は,いじめについて情報の共有と組織的対応は求めるものの,いじめへの対応としては「当該学校の複数の教職員によって、心理、福祉等に関する専門的な知識を有する者の協力を得つつ、いじめを受けた児童等又はその保護者に対する支援及びいじめを行った児童等に対する指導又はその保護者に対する助言を継続的に行うものとする」(23条3項)とするにとどまり,一部例外を除き具体的対応を明記していません。
また推進法は「いじめの早期発見、いじめの再発を防止するための取組等について適正に評価が行われるようにしなければならない」(34条)としていますが,これはいじめの発生自体については否定的な評価を行わないけれども,いじめへの取組が不十分であれば否定的な評価を受けなければならないことを意味するとされています(小西洋之議員「いじめ防止対策推進法の解説と具体策」228頁~)。
つまり,推進法は,いじめを広く定義し,学校に対して生徒の苦痛を見落とさないよう求めてはいるものの,多様ないじめへの具体的対応については専門家の援助を得つつも基本的には学校の判断に委ね,いじめが発生したというだけで否定的評価をせず,いじめへの取組が不十分なときに否定的評価を受けることとしています。文部科学省も「いじめの認知件数が多い学校について、教職員の目が行き届いていることのあかしであると考えています」としています。
なお,加害児童もいじめや児童虐待を受けている場合が多いこと等から,推進法が被害児童については支援,加害児童に対しては指導,と対応を二分させていることを問題視する見解もありますが,具体的対応のあり方について学校に相応の裁量があり,いわば厳しい支援,優しい指導もあり得る以上,私は問題視する必要はないと考えます。

3 金銭授受はいじめか
 それでは,今回の場合,金銭授受はいじめでしょうか。
(1)第三者委員会の見解
 この点,いじめが「他の児童等が行う心理的又は物理的な影響を与える行為」(2条)とされていることからすれば,他の児童が行った金銭支払の原因となった行為(以下「原因行為」といいます。)はいじめにあたるが,金銭支払行為は被害児童の行為であっていじめにはあたらないという横浜市いじめ問題専門委員会(第三者委員会)のような見解もありうるでしょう。
しかしながら,金銭授受の際には被害児童の支払行為だけではなく,他の児童の金銭受領という行為があるといえ,第三者委員会のようなとらえ方をする必要はないと思います。
(2)金銭授受もいじめとみるべき
そもそも,原因行為中に「賠償金あるだろ」発言のような金銭支払に向けられたものがある(2017.1.26付IWJ報道)とすれば,原因行為と金銭支払を分断して前者はいじめだが後者はいじめではないというのは不合理です。こうした分断を是とするならば,恐喝罪という犯罪類型は不要で暴行罪と脅迫罪があれば足りることになるでしょう。
仮に金銭支払に向けられた行為が存在しなかったとしても,被害児童が原因行為の結果として金銭を支払っているのであれば,他の児童が金銭を受領する際に被害児童が苦痛を感じていることは当然でしょうから,いじめとみるべきです。
すなわち,既にみたとおり,推進法2条は,子どもの苦痛に目を向けた適切な対応を行うべきという趣旨でいじめを広く定義しており,行為者側の主観を全く問題とはしていません。したがって,たとえ金銭授受の際他の児童に攻撃意図がなくても=単におごられただけと考えていたとしても,その際に被害児童が苦痛を感じている以上はいじめとみるべきです。

4 いじめと認定されたとして
 さて,今回の場合,金銭授受がいじめと認定されたとして,どういうことになるでしょうか。
 既に述べたとおり,いじめとの認定がなされても,法は情報の共有と組織的対応は求めるものの,具体的対応は明記されていません。
 ましてや,いじめと認定されたことだけで,学校が否定的評価を受けるわけではありません。
 いじめと認定されることはいわば出発点に過ぎません。
大切なのは,いじめと認定されたとして,いじめへの取組が十分なされるか否かです。
 
5 第三者委員会の見解
 横浜市の第三者委員会調査報告書は,金銭授受への学校の対応について次のような見解を示しているようです。

当該児童が複数回にわたり加害を疑われている児童を中心にゲームセンター等に一緒に出掛け,金銭を負担していたことも,採られた方法論は明らかに間違っているが,「いじめ」から逃れようとする当該児童の精一杯の防衛機制(適応機制)であったということも推察できる。
これらの問題に対しての学校側の対応としては,表面的な問題行動のみに注視して,児童の内面的な葛藤に対しての対応ができておらず,教育上の配慮に欠けていたといわざるを得ない。
金銭的な授受の問題についても,当該児童と関係児童の言っている金額の相違などを問題とする前に,小学生が少なくても万単位の金額を”おごる・おごられる”ということをすること自体,生徒(児童)指導の対象と考え,教育的な支援を行うことが必要であった。しかしながら,「正確な金額がわからないので,その解明は警察にまかせたい」とか「返金問題に学校は関与しない」として,学校は上記の教育的支援を十分に行ったとは思えない。
学校は,加害を疑われている児童たちに対しても,適切な教育活動を行ったとは言えず,当該児童及び関係児童全てに対し,行うべき教育的指導・支援を怠ったと言わざるを得ない。
以上のことから,この時期については,おごりおごられ行為そのものについては「いじめ」と認定することはできないが,当該児童の行動(おごり)の要因に「いじめ」が存在したことは認められる。

 第三者委員会報告書は,金銭授受はいじめではないから指導しなくてよいとしているものではありません。
むしろ学校が被害児童の内面的な葛藤(苦痛といってもよいでしょう)に対して対応せず,関係児童への指導支援を怠ったことを批判しています
 第三者委員会報告書はいじめとの認定こそしていませんが,学校に突きつけられた内容としては,いじめの存在を前提に金銭授受について学校の取組が不十分であることを指摘したものと同様と評価することもできるでしょう。

6 岡田優子教育長の発言報道について
 これに対して,本年1月20日の岡田優子教育長の発言は,全容は不明なのですが,報道されている限りでは,第三者委員会報告書が金銭授受に対する学校の対応が不十分としていることにふれずに上記下線部分の内容にのみ言及したもののようです。
対応を反省していないとか解釈されてもやむをえないかもしれません。
 ただ,推進法上のいじめに該当した場合,情報の共有と組織的対応は求められるものの,それだけで学校の行うべき具体的対応は導かれるわけではないし,ましてや学校に否定的な評価がなされるわけではなく,いじめとの認定は出発点に過ぎません。
 今回の場合,私としては金銭授受についてもいじめと認定されるべきであったと考えますが,問題はそこにとどまるものではなく,主として問題とすべきは学校・教育委員会の具体的対応であって,その際には第三者委員会報告書の様々な指摘が参考とされるべきです。
 
7 具体的対応の問題点
 今回の件では,いじめの認定が大きな問題となっていますが,私はそれ以上に深刻な,しかも他の学校とも共通するような問題が第三者委員会報告書で指摘されていると思います。
(1)言い分が異なる場合
ア 対応は難しい
 今回の件では,被害児童と他の児童との間で,金銭授受の額につき言い分に大きな隔たりがあるようです。そして,こうした隔たりがあったことから,学校は「正確な金額がわからないので,その解明は警察にまかせたい」などとして,教育的指導・支援を怠ったようです。
 このように,被害児童と他と児童との間で言い分が異なる場合,学校が指導・支援から手を引いてしまったり,指導・支援がおざなりになってしまうケースがしばしばみられます。
 今回の件では金銭授受自体については双方が認めており,指導の糸口はあったはずです。
これに対し,事実の存否について全く言い分が異なる場合には,対応は一層難しいことになります。
イ 何もしなくてよいわけではない
 しかしながら,事実の存否について言い分が異なるからといって,何もできなくなるわけではないし,何もしなくてよいわけではありません。
(ア)事実があったことを前提とする指導が可能な場合
 被害児童と他の児童の言い分が異なっても,①客観的事実や目撃児童の話,②常識,③教員としての知識と経験などから,学校において事実があったと考えることができるのであれば,事実があったことを前提に他の児童を指導することは許されるというべきです。
 学校教育法は「教諭は児童の教育をつかさどる」としており,いわゆる生徒指導(児童指導)のあり方については,教諭に相応の裁量を与えているといえる以上,児童が事実を否認したらこれを前提とした指導はできないなどというルールは導きようがありません(勿論、一定の慎重さは必要でしょうが)。
 一昔前なら(今でもそうかもしれませんが),学校のガラスが割れたとき「○○がやった」という目撃児童の話があれば,○○はガラスを割ったものとして叱られ,「やってない」とでもいえば「うそをつくんじゃない」と更に叱られたことが多いのではないかと思われます。いじめの問題だからといって,問題を複雑化する必要はありません。
(イ)いじめの認定自体は可能
 学校としては事実は存在する可能性の方が高いが,事実があることを前提として他の児童を指導することは難しい場合というのもありうるでしょう。
こうした場合でも,いじめの認定を行うこと自体は可能です。
被害児童に対する支援は当然不可欠でしょう。「○が否定しているので○に対してやったことを指導することは難しい。だが,今後同じことが起きないように注意していく。先生は君の味方だ。」と伝える等様々な支援が考えられます。
他の生徒に対しても,事実があることを前提とする指導はできないとしても,生活に対する目配りや再発防止に向けた取組など,様々な指導を行うべきこととなるでしょう。
(ウ)いじめが認定できないとしても
 事実の存否が不明で,いじめとの認定ができない場合も,特に初動期はあるでしょう。
 国や横浜市のいじめ防止基本方針は,重大事態に関して「児童生徒や保護者からいじめられて重大事態に至ったという申立てがあったときは、その時点で学校が『いじめの結果ではない』あるいは『重大事態とはいえない』と考えたとしても、重大事態が発生したものとして報告・調査等に当たる。」としています。
 被害者目線を重視し,本来支援されるべき子どもを対象からこぼしてはならないという推進法の趣旨からすれば,重大事態にあたるか否かを問わず,「児童生徒や保護者からいじがあったという申立てがあったときは、その時点で学校が『いじめはない』あるいは『いじめとはいえない』と考えたとしても、いじめが発生したものとして対応する」と,上記の基本方針を類推適用すべきでしょう。
(エ)いじめの事実がないと認定されたとしても
 被害児童の訴えは基本的に尊重されるべきですが,場合によってはいじめの事実がないことが認定されることもありうるでしょう。
 そうした場合でも,推進法の適用の有無にかかわらず,学校は児童を支援指導する一般的な義務を負っているのですから,何もしなくてよいことにならないのは勿論です。
ウ 推進法を生かすのも骨抜きにするのも学校次第
 推進法はいじめが発生しただけでは学校を非難しないとしていますが,社会的にはまだまだいじめが発生したこと自体を非難する傾向があることは否めません。
 そのため,推進法のいじめの定義にもかかわらず,暴行事件をいじめではないなどと発言してしまうケースもみられますが,さらに悪いことには,学校が安易に他の生徒側の言い分に乗って,いじめの存在を否認しているのではないかと思われるケースもみられます。
 このように,簡単にいじめの存在を否認してしまうと,推進法に基づく学校の取組はほぼ骨抜きとなり,推進法の意義は薄れてしまいます。
 推進法を生かすのも骨抜きにするのも学校次第です。
 学校の先生方は,決して責任逃れに汲々とするために先生になったのではないはずです。教育の専門家として,教育のあるべき姿を是非追究していただきたいと思います。
 法律家は,そうした取組は支援していくことが大切だと思います。

(2)おごりが「非行・虞犯行為」とされているが…
ア 悪いところがあると救済されないのか
 第三者委員会報告書には,おごり・おごられた行為について「非行・虞犯行為」という表現を用いていますが,報告書を注意深く読めば,この点について被害児童を非難するものではないと解釈できます。たとえ問題行動があったとしても,いじめ回避のためにやむを得ず行ったのであれば,非難できないのは当然です。
 ところが,学校は被害児童の金銭支払行為について「児童の生活指導上の問題として捉え」「表面的な問題行動のみに注視」という具合に,被害児童の問題行動としてとらえていて,「内面的葛藤に対して対応していない」=苦痛に目が向いていない=いじめないしいじめの結果としてはとらえていませんでした。
 このように,被害児童側の行為の問題性にのみ着目し,「被害児童にも悪いところがある」などとして対応がおろそかになり深刻ないじめ被害を招いた例は法施行後も複数みられ,それが法施行後も未だ改善をみていないことがわかります。
イ 推進法の立場
 推進法は「被害者にも悪いところがある」などとしていじめとしての対応を怠ることを許さないものと解釈できます。
 すなわち,推進法1条は「この法律は、いじめが、いじめを受けた児童等の教育を受ける権利を著しく侵害し、その心身の健全な成長及び人格の形成に重大な影響を与えるのみならず、その生命又は身体に重大な危険を生じさせるおそれがあるものであることに鑑み、児童等の尊厳を保持するため、いじめの防止等(いじめの防止、いじめの早期発見及びいじめへの対処をいう。以下同じ。)のための対策に関し、基本理念を定め、国及び地方公共団体等の責務を明らかにし、並びにいじめの防止等のための対策に関する基本的な方針の策定について定めるとともに、いじめの防止等のための対策の基本となる事項を定めることにより、いじめの防止等のための対策を総合的かつ効果的に推進することを目的とする。」としていますが,ここでいう「尊厳」とは憲法の「個人の尊厳」(24条)「個人の尊重」(13条)を示すもので(小西洋之議員著書),人は自らの意思と個性をもった人として尊重されることを意味します。
 ところで,私たちはその個性として良い面だけでなく(あるいは良い面と裏腹に)様々な良くない点をもっています。
 推進法1条は,そうした良くない点をかかえていても,いじめは被害児童の個人の尊厳を侵すものとして許さないという趣旨と解釈できます。
 実際問題として,良くない点のない人はまずいないでしょうから,良くない点があるからといっていじめが許容放置されていたら,あらゆるいじめが許容放置されてしまうでしょう。
 もちろん,良くない点につき指導がなされることはありうるでしょう。
 しかし,だからといって,いじめが許容放置されてよいかというと,そこは峻別しなければならないと思います。
ウ 保護者との対応
 保護者との対応は,現場の先生方の一番の悩み事と言っても過言ではなさそうです。
 保護者との協力関係を築くことが困難な場合,ついつい被害児童の支援,特に保護者への連絡がおろそかになってしまうことはないでしょうか。
 児童虐待にみられるとおり,保護者が子に対して常に適切な対応をとるとは限りません。
 保護者の対応を理由に被害児童の支援をおろそかにすることはあってはならないことです。児童の良くない点を理由にいじめを許容放置してはなりませんが,それ以上に,保護者の良くない点を理由にいじめを許容放置してはならないと思います。ましてや,保護者の正当な抗議をモンスターペアレント扱いすることは言語道断です。
 もちろん,被害児童の支援とモンスターペアレントの不当な要求を受け入れることとは別です(たとえば保護者のTPOを問わないエンドレスな抗議を受ける法的義務はありません。)。保護者との良好な関係の構築には,学校だけではなく様々な外部機関や専門家との協力が必要と思います。

(3)マニュアル化は進むか
 推進法が施行されて3年余り,深刻ないじめ被害はその後も発生しており,いじめを巡る事態が推進法により改善したとはいえない状況が続いているといえます。
 こうした中で,事態改善の方策として,推進法がいじめへの具体的対応をほぼ学校に委ねているのを改め,基本方針等で「こういう場合はこうする」等のマニュアル化が進むことが想定されます。
 しかしながら,私としては,マニュアル化は避けるべきと考えます。
 いじめへの支援指導に限らず,教育という営みは児童生徒の心に働きかけるものでないと児童生徒は変わりません。
 いってみれば,私たちが不動産取引の際の重要事項説明のような話をされても心は動かないように,マニュアル通りの対応では心は動かないでしょう。たとえば型どおりに「今回何をしたのかな?」「したことをどう思う?」「これからはどうする?」と聞いても,それだけではアンケートへの回答と異なるところはないでしょう。
 いってみればマニュアルを超えた,「プラスα」が必要です。
 その「プラスα」は,個々の事件,児童や先生の個性により様々で,マニュアル化は不可能と思われます。
 言い方を変えてみましょう。
 学校がいじめについて支援指導を行ったという形を作るのは比較的簡単です。
 すなわち,「○月○日 ×の件について△本人と保護者を学校に呼び,①②③について指導。△と保護者は反省し改善を約束した」のような外形を作り上げることは比較的簡単で,こうした外形が作られている場合,第三者委員会が不適切とまで言い切ることはなかなか難しいことになるでしょう。
 マニュアルに反したら不適切と言われかねない一方で,マニュアルに則った形を作れば非難されないとなると,学校はマニュアル記載事項を形だけでも実施することに汲々とすることになり,上記の「プラスα」はおろそかになると思われます。
 マニュアルについては,落ちがないように最低限の事項を参考として示すならともかく,微細にわたり現場を拘束するものは有害無益だと考えます。
 もっとも,推進法施行後3年超となったにもかかわらず,法の趣旨とかけはなれた事件が続くようであれば,文部科学省がマニュアルを作成せざるを得ないような事態となるかもしれません。
具体的対応は学校に委ねるという法の立場は,実質的には変更されてしまうことになります。
推進法の実践に向けた学校現場の努力が必要だと思います。

8 最後に
 推進法ができた際,2011年の大津いじめ自殺事件のご遺族は,次のようなコメントを出されているようです。これに付け加える言葉はいらないでしょう。もっとも,現状は,残念ながら,推進法の見直しを要するというよりは,推進法の趣旨の理解から進めなければならないというところでしょうが。
 「息子が今、生きている子供たちのために命がけでつくった法律。『日本の学校はあの時から変わった』と実感できるまで法律の運用を見守りたい」
 「今日この日を境に、「いじめ」に遭って著しくその尊厳を奪い取られたり、命を落とすような子供が一人もいなくなるまで徹底してこの法律を見守り、運用上問題があるときは即座に見直しを行っていただくことを強く要望いたします。
   世界から見て、日本の学校は世界で一番子供たちの尊厳を守り、一人一人の個性を尊重し、親が安心して子供を送り出せる学校だといわれるまで、そんな世界に誇れる学校をこの法律の下、作られるものと理解し、「日本の学校はあのときから変わった」と実感できるまで、私は息子や天国にいる多くの子供たちとこの法律の行方を見守り続けていきたいと思います。」
  (宮武嶺弁護士ブログより)
    

なお,いじめ防止対策推進法第1,2条の解釈の詳細については,神奈川県いじめ防止対策調査会の答申3頁以下も参考としていただければ幸いです。
「神奈川県いじめ防止対策調査会答申」

Copyright(C) Shonan-Godo Law Office. All Rights Reserved.