育鵬社公民教科書の問題点 ⑨生徒を傷つけかねない記述
育鵬社版公民教科書は,判明している部分だけでも,下記1から5にみるとおり,授業で用いるなどした場合に生徒らを傷つける可能性のある記述がみられます(多くは自由法曹団意見書の各所で指摘している問題点ですが,まとめました。)。
これらの点を指摘した意見が寄せられている中で,教育委員会が敢えて育鵬社版を採択し,その結果として下記1~5のような事態が生じた場合には,教育委員会には結果発生について予見可能性は十分あったというべきですから,過失も結果との相当因果関係も認められる可能性が十分あることとなります。
したがって,下記1~5のような形で生徒が傷つく事態が生じた場合,訴訟が提起される可能性は十分認められ,さらには敗訴の危険も認められることになります。育鵬社版を,採択すべきではありません。
1 外国籍の生徒,外国にルーツのある生徒を悲しませる育鵬社版
育鵬社版は,「外国人差別」の単元で「外国人にも人権は保障されますが,権利の性質上,参政権のように日本国民のみにあたえられた権利は,外国人には保障されません。・・・ただし,外国出身であっても日本国籍を取得すれば,日本国民として選挙権をはじめすべての権利が保障されます」(59頁)と記述しています。また,社会権の単元では,外国人の社会保障について「国民が国に福祉的給付を求める権利であるため,外国人にただちに保障されるものではありません」とわざわざ記載しています。外国人が,税金や社会保険料を納付していることには触れられていません(63頁)。これでは,外国人に人権保障がなされない点があったとしても,仕方がないとか,日本国籍を取得すれば問題ないなどと生徒が捉えてしまうおそれがあります。外国籍の生徒に対し,「お前には保障されていない人権がある」,「なんで日本国籍を取らないのか」などと心無い発言をする生徒も生じかねません。
また,育鵬社版には「人は一つの国家にきっちりと帰属しないと『人間』にもならないし,他国を理解することもできないんです」というコラムまであります(11頁)。日本に住む外国籍の生徒のみならず,両親の国籍が異なる生徒等を悲しませる可能性があります。
2 「人工知能やロボットにとって代わられる可能性の高い職業」を名指しする育鵬社版
育鵬社版は「働くことの意義と労働環境の変化」(136頁)の項の冒頭の図で,何を意図してか,「人工知能やロボットにとって代わられる可能性の高い職業」として一般事務員,受付係,警備員,タクシー運転手,宅配便配達員,レジ係,「(可能性の)低い職業」として医師,雑誌編集者,教員,保育士,デザイナー,美容師と,具体的職業を挙げています。
「とって代わられる可能性の高い職業」に現についている保護者のいる生徒や保護者自身に対する配慮はあったのでしょうか。図を見たとき当該の生徒が何を思うか,保護者と何を話すのか,教室でどのような言葉のやり取りがなされるのか,教員の失言・他生徒の揶揄など差別的な言動につながる可能性はないのか。
たしかに一般の書物や放送でロボット等に「とって代わられる可能性の高い職業」が扱われることもあるでしょうが,これらは①通常個人や家庭で接する,②見る見ないの自由がある,③信頼性も高いとは限らないという点で,精神的苦痛や差別的言動にはつながりにくいといえます。これに対し,教科書は①学級集団の中で用いられる,②授業での使用義務がある,③検定を経て信頼性が高いものしてと扱われているという点で,精神的苦痛や差別的言動につながりやすく,一般の書物・放送とは同列には置けません(そうした意味で,この図を看過した文部科学省の検定にも問題があると思います。)。
育鵬社版が採択されれば,「とって代わられる可能性の高い職業」と名指しされたことやこれに起因する差別的言動で傷つく生徒・保護者が出る可能性は十分認められます。
3 生活保護受給世帯の生徒を悲しませる育鵬社版
憲法25条と生存権について記述した箇所では,「生活保護受給者のギャンブルの実態について伝える新聞記事」が掲載されています(63頁)。
しかし,ここでは日本社会の貧困・格差の実態や,いわゆる水際作戦による生活保護の出し渋り問題を解説する記述はありません。
あたかも不正受給やギャンブルの印象だけを残すことになるとすれば,生存権の理解として適切とはいえません。
教室には生活保護を受給する家庭の子どもたちがたくさんいます。生活保護受給者はギャンブルをしているという視線がもたらされるとすれば,余りに残酷です。
4 子ども食堂等の利用,ひとり親世帯に関して生徒を悲しませる育鵬社版
詳細は「子どもたちに渡すな!あぶない教科書 大阪の会」さんの下記ブログをご覧いただきたいのですが…
https://blog.goo.ne.jp/text2018/e/f8134dceb14956ffce4553b4042b81f4
育鵬社版157頁のコラム「子どもの貧困と子ども食堂」は誤りが多い上,「子どもの貧困」と関連づけて不用意に「子ども食堂」「無料学習塾」に言及し,偏見を生じさせたり 利用を躊躇させてしまう可能性があります。また「ひとり親の家庭は経済的に余裕のない状況にあります」といった記述があり,こうした一律的な記述は問題である一方で,実際に余裕のない状況にある生徒にとっては触れてほしくない事柄というべきでしょう。
5 一律に家族の役割,価値を強調して生徒を悲しませる育鵬社版
育鵬社自由社を除く他社の今回採択版公民教科書は,家族については数行で基礎的な社会集団であることにふれる程度にとどまっています。
これに対して育鵬社版は,「家族の一員としての私たち」という項を立てて,家族の役割,家族に関する法律,家族形態の変化,家族の価値,と丸々授業時間1時間分(26~27頁)を充てています。
ここで育鵬社版は,(26頁)。そこには,「私たちは,まず家族の中で育てられ,人格をはぐくみ,慣習や文化を受け継ぎ,社会で生きるためのルールやマナーを身につけます。やがて新しい家族を作り,子育てをします。年老いた親を支え,介護することも大切な役割です。」と家族がいかに大切な社会の基本的単位であるかを述べています。
事情により家族と生活できない生徒たちの心情に対する配慮は全くありませんし,特定のライフスタイルの押しつけも認められます。
さらに,家族の大切さを強調することで虐待を受けている子どもは,外部の支援を受けることを躊躇してしまうかもしれません。
6 まとめ
上記4子どもの貧困のように子どもに関わる問題については,教科担任が学級の実情に応じ,子どもを傷つけることのないよう配慮の上で,扱うことになるものと思われます。ところが, 教科書に記述してしまうと,受け取った生徒全員がいきなり問題を目にしてしまうことになるため,子どもを傷つける可能性が高くなります。
神奈川県弁護士会子どもの権利委員会では,学校の依頼を受けていじめ予防授業に出向くことがあります。 いじめはまさに子どもの関わる問題ですから,子どもを傷つける内容が含まれないよう,学校との事前打合は不可欠です。
子どもを傷つけかねない教材の排除は,教育委員会を含む教育者の責務というべきでしょう。(小池)