人間の主体性または障害者のこと
偶然、障害者を主人公にした番組を続けて3つみた。NHK TED「僕は目覚めたのに 誰も気付かなかった」(マーティン・ピストリウス)、NHKETV特集「生き抜くという旗印~詩人・岩崎航の日々~」 わずかに動く指先でつづる五行歌、NNNドキュメンタリー「生きる伝える”水俣の子”の60年」、
原因不明、筋ジストロフィー、水俣病それぞれ状況は大幅に異なるが、それぞれの人生に驚嘆する。
「僕は目覚めたのに 誰も気付かなかった」は原因不明で10年間、人とコミニケーションできなかった人の回復の物語である。さすが、最先端のアイディアを披露することを目的とするTEDに登場するだけであって前向きである。人間の可能性、回復力のすばらしさを感じさせる。テレビで見る限りまだ障害は残っているようであるが、テクノロジーの力でこれを挽回している。ここがすごい。
「生き抜くという旗印~詩人・岩崎航の日々~」は筋ジストロフィーになりながらも、五行詩を書き続ける詩人の物語である。見るからに大変そうである。読者から自殺の相談をうけて、岩崎は自分も17歳の頃、自殺を考えた時のことを語る。読者に回答するというよりは、17歳の自分に対して、生きていてよかったと思っている現在の自分が語り掛けるようにする。回答というよりは独白しているようである。また、自殺を乗り越えた岩崎の心の過程に感銘する。
「生きる伝える”水俣の子”の60年」は、水俣病患者の60年を回想する。ちょうど私と同じくらいに生まれて寝たきりの患者の日々を振り返る。父母は亡くなり、兄弟が介護をしている。まさに同時代の出来事である。自分はのうのうと何をしているのだと思う。
これも感動深い番組であるが、ただひたすら気の毒な人生といった描き方がやや気になった。マーティン・ピストリウス、岩崎航の番組のように大変ななかでも、主人公が努力をしてここまでやってきたという主体性に感銘させられたので、水俣病患者の場合も何かあるはずである。大変であっても、生きて来たについての主体性の面を強調できなかったかな、などと思う。素晴らしい番組なのにぜいたくな要求である(山森)。
以下番組の紹介である。
How my mind came back to life — and no one knew
僕は目覚めたのに 誰も気付かなかった(マーティン・ピストリウス)
1975年、南アフリカ・ヨハネスブルク生まれ。12歳の時、原因不明の病により体の運動機能を徐々に失い、こん睡状態に陥る。16歳で意識が戻り始めるものの、目のわずかな動き以外は体をまったく動かせず、周囲に伝えられない日々が続く。発病から10年後、介護施設のセラピストにより、意識が戻っていることをようやく見いだされる。2008年に妹の紹介で知り合った女性と結婚、現在はイギリスで暮らす。著書に、半生をつづった自伝「ゴースト・ボーイ」(ミーガン・ロイド・デイヴィスとの共著)がある。
NHKETV特集 詩人・岩崎航 わずかに動く指先でつづる五行歌
仙台在住の詩人・岩崎航さん。“生き抜くこと”をテーマに五行の詩をつづる。全身の筋力が衰えていく難病・筋ジストロフィーを患い、生活の全てに介助を必要とする。かつて病を受けいれられず自殺を考えたが、ありのままの自分の葛藤を詩で表現し、人とつながることが生きる喜びとなっていった。しかし東日本大震災を経て、詩を書く意味を見失ってしまう…。生きるとは何か。静かな創作の日々を見つめ、心の世界を描く。
2016年4月30日(土) 午後11時00分(60分)
2016年5月7日(土) 午前0時00分(60分)
2016年5月1日(日) 24:55
NNNドキュメンタリー 生きる伝える”水俣の子”の60年
かつて「魚湧く海」と呼ばれた豊かな海で発生した水俣病。チッソがプラスチックを作る過程で出たメチル水銀を海に流し、汚染された海でとれた魚を食べた人々に病気が広がった。私たちが便利な暮らしを獲得する陰で、水俣には犠牲となった多くの胎児や子どもたちがいた。公式確認から60年となる水俣病。人生を生き抜き、還暦前後を迎えた水俣の子は今、私たちに何を伝えているのか。