政治に距離を置く個人を確保する制度の重要性、または、「故郷の村で」(BSドキュメンタリー)
1992年ボスニアで民族浄化があった。ボスニアにはボシュニアック人(イスラム系)、セルビア人、クロアチア人などの民族で構成される多民族国家であった。ひとたび、民族主義の嵐が吹き荒れると、昨日まで少なくとも通常の関係にあった隣人を民族が異なるという理由で、殺害し、強制収容所に送り込んだ。主人公(イスラム系)は自分が尊敬していた高校時代の恩師(セルビア系)に会う。収容所で過酷な尋問担当者であった。その10年後の2002年、故郷を訪れた主人公が、教員にもどっていた恩師に会う。
教師は以下の弁明をする。
教師は自分が望まない状況に立たされる
邪悪な行為があったことは間違いないが助けたいと思ったができなかった
状況が許さなかった民族的にもね。私は暗い過去を抱えた。できれば避けて通たかった
私はただの事務員に過ぎなかった
私はたまたまあそこにいあわせた
私の問題は間違ったときに間違った場所にいたことだ
収容所の事は国際戦犯法廷で明らかになる
有罪になることをみんな恐れている。私もだ。
君も私を責めたいだろう。
でも私たちはあの状況に追い込まれたんだ。
2年後教員は死んだ。原因はわからない。
教員の弁明は多分事実であろう。正直な人である。ナチスドイツのアイヒマン裁判の時に、ハンナアーレントが主張した「凡庸な悪」という言葉を思い出す。そして、政治体制がどうであろうと、介入すべきでない個人の領域があることの重要性を意識する。ひとたび民族主義その他のイデオロギーの嵐に巻き込まれてしまうと私を含めて大部分の人は冷静さを保つことはできないのだろう(山森)。
以下、テレビの紹介文である。
ボスニア紛争を生き延びたイギリス在住のボスニア人監督が故郷の村を訪れる。家族や加害者側のセルビア人を訪ね、紛争が人々の心に残した傷跡と向き合う。
監督が生まれ育ったのは、イスラム系とセルビア系民族が共存していたボスニア北部の美しい村。しかし、1992年、セルビア人の隣人や尊敬していた教師が突然、イスラム系住民に対する攻撃を開始。兄は殺され、監督自身は収容所に入れられたが、後に解放されてイギリスに亡命した。当時800人だった村の人口は現在50人。村で何が起きたのか、加害者と被害者はその後、どのような想いで日々を過ごしているのかを探っていく。
原題:Pretty Village
制作:Pretty Village Films (イギリス 2014年