またまた無学な話(誠意・到知・格物)

2016-03-29

またまた畏れ多い話であるが「大学」金谷治解説を読んでいてどうも腑に落ちない。
例えば、白文
①「欲修其身者、先正其心」
②「欲正其心者、先誠其意」
③「欲誠其意者、先致其知」
④「到知在格物」
その書き下し文は
①その身を修めんと欲する者は、先ずその心を正しくす
②その心を正しくせんとする者は、先ずその意識を誠にする
③その意識を誠にせんとする者は、先ずその知を極める
④その知を極めるには物に格るにあり
である。
金谷解説は
①我が身をよく修めようとした人は、それに先だってまず、自分の心を正した。
②自分の心を正そうとした人は、それに先だって自分の意念を誠実した。
ここまではわかる。しかし、
③自分の意念を誠実にしようとした人は、それに先だって自分の知能(道徳的判断)を十分におしきわめた。
④知能をおしきわ(めて明晰にす)るには、ものごとについて(善悪を)確かめることだ」
というのがどうもしっくりいかない。
誠実になるためには、道徳的判断を明晰にすることが必要なのだろうか。道徳的判断というと、価値観が入り神々の争いになる。永遠の迷路ではないだろうか。これは虚しい。
むしろ、誠実になるためには、明晰な事実認識が必要であるということではないだろうか。事実認識であるならば、どこかで共通の土俵にたてる気がする。
③「自分の意を誠にしようとする者は、それに先だって自分の知識を隈なく推し極めた」。
④「自分の知を推し極めることは、物事の窮極まで到達することである」という矢羽野隆男訳(角川文庫)の方がよほどしっくりいく(山森)。

Copyright(C) Shonan-Godo Law Office. All Rights Reserved.