中山茂または職業としての学問のこと
6月13日朝日新聞夕刊惜別欄で科学史家中山茂の訃報(85歳)を伝えていた。トーマスクーンのパラダイム論をしらしめた人である。記事に「大学講師になったが、学内に昇格を阻む動きがあり、助教授になったのは59歳翌年定年を迎えた」。書き方が奥歯にものが挟まったようなので気になり、ワールドカップ・コートジボアール戦を見る代わりに少し調べてみた。中山茂のホームページをみると自伝があった。そして、中山の立場で、大学で排斥された経緯が書いてあった。当時、日本で科学史は新しい学問で、アメリカの大学で最新の科学史の方法論を学んで帰国した少壮気鋭の中山は、そのような方法論を持っていない先輩学者から脅威と受け取られたらしい。中山を排斥した人物やその息のかかった後輩学者はイニシャルで書いてあるが(中立的・好意的な人物は実名)、当時の大学の構成を調べてみると誰なのかすぐわかる。世間では大学者として名の通っている人なので驚く。にわかに信じがたい気もするが、たまたま、手元にあった中山を排斥した学者の弟子が編集した「現代科学思想辞典(講談社現代新書)」(1971年)をみてみると、パラダイム論について当然に書いてあると思ったが、ない。クーンの主著「科学革命の構造」が1962年で翻訳こそ当時でていなかったかもしれないが、パラダイム論は人口に膾炙した議論なので紹介しないのは不思議だ。沢山の科学哲学者・科学史家が執筆者として名を連ねているのだが、中山の名前はない。これはいささか奇異なことである。話は変わるが、哲学者の中島義道が大学の人事で、自分を引き上げてくれた学者から従僕のような扱いを受けたことの口惜しさを微に入り細に入り書いていたこと読んだことがあり(「ウイーン愛憎」(中公新書))、かなり信憑性のある話であると思う。
この記事を読んで思い出したのは40年くらい前に読んだ「職業としての学問」(岩波文庫)である。ウエーバーは学者の就職活動は不愉快で偶然事に左右されることを強調している。歴史に残る名講演でなんでそんなことを強調するのか不思議に思い印象に残っている。それが中山のように意図的に不公正な扱いをうければ不愉快どころの話ではないだろう。
しかし、中山は30年にもわたる冷遇された環境の中で、腐らず研究を続けた。50冊にもわたる膨大な著作がそれを物語る。それどころか、「公平で人の悪口は絶対にいわなかった。何でいつもあんなに明るかったのかわからない(米本昌平)」というのであるからすごい(山森)。