河上肇または生身の人間であること
河上肇の漢詩が好きである。杜甫や李白を差し置いて一番好きである。周知のように河上肇はマルクス経済学者で、戦前,大学を追われ共産党に入党し、地下活動に従事、逮捕され、4年あまり服役の後、引退し、自叙伝を書き、詩を作った。詩は地下活動、逮捕、裁判、服役という激動の時期を経て、釈放され社会の片隅に生きる老人の諦観の境地を語っている。詩の中にある静謐さが好きである。
例えば 「閑居」
盡日無人到 尽日人の到るなく、
時紛不復聞 時紛また聞かず。
倚爐思往事 炉に倚りて往事を思ひ、
擧首看浮雲 首《かうべ》を挙げて浮雲を看る。以下、河上肇詩注(岩波新書)
あるいは、
閑居 尽日人到るなく 時紛また聞かず 炉に寄りて往事を思い 首を挙げて浮雲を看る
遺憾ながら、私は、白文をみこなすことが出来ず、読み下し文を目で追うことが出来るだけである。静謐さと同時に、困難な時期に節を貫き通すことが出来たという河上の自尊の感情には心に迫るものがある。
不買文 節を守りて方外に遊び 貧に甘んじて文をうらず 天を仰いで愧づる所なく 白眼青天に対する
ところで、最近、青空文庫で河上の「閉戸閑詠」(「へいこかんえい」と読むらしい)を読んでいたら、「閑居」の前に「刑余安逸を貪る」という詩があることを知った。
膝を伸ばせば足が出る、
首を伸ばせば枕が落ちる、
覗き穴から風はヒュー/\。
ほんたうに冬の夜の
牢屋のベッドはつらかつた。
今は毛布の中にくるまり、
真綿の蒲団も柔かに、
湯タンポで脚はホカ/\。
ほんたうに仕合せな
今歳の冬は弥生の春よ。
それはそうだろう4年の獄中生活である。並大抵のものではない。獄中の日常生活はつらかっただろう。漢詩からはその辛さがあまり感じ取ることができず、私は河上を崇拝して偶像化していたように思う。「湯タンポで脚はホカ/\。ほんたうに仕合せな」生身の河上を知ることができて、嬉しい。それにしても、河上が終戦まで生き延びることが出来て本当によかった(山森)。