(1)「行為」の認定

2024-01-12


ア 問題点
 調査自体は、条文上重大事態の発生がいじめによるという疑いがあれば行われますし、しかも国の指針では、「児童生徒や保護者からいじめられて重大事態に至ったという申立てがあったときは、その時点で学校が「いじめの結果ではない」あるいは「重大事態とはいえない」と考えたとしても、重大事態が発生したものとして報告・調査等に当たる」とされています。
 したがって、「行為」あるいは生の事実の有無について、各当事者の認識が鋭く対立する案件が調査対象となる可能性もあり、調査委員会は難しい判断を迫られる場合も十分ありえます。
 こうした場合、「行為」を認定すれば関係児童生徒の側から強い非難を受けかねませんし、場合によってはいじめの疑いをかけられたことで不登校、自死が生じかねないと考えて、学校側では客観的な証拠や第三者の供述 が得られない限り「行為」を容易には認定しないことが考えられます。
 しかしながら、学校内のあらゆる箇所に防犯ビデオ等が現状では設置されているわけではない上に今後これを設置することも現実性に乏しく、「いじめ」の客観的な証拠は通常は得られないというべきです。
 また、目撃者が特定されてしまう場合等、報復を恐れて第三者が供述を避けることも十分想定される上、密室でのいじめ等第三者が目撃しない場合も十分想定されるのであって、第三者の供述も得られない場合も十分ありうるというべきです。
 そうなると、客観的な証拠や第三者の供述など求めていたのでは、「行為」が 認定できないとして、法の予定する「いじめ」への対応はなされないこととなりかねません。
 極端な場合には、客観的な証拠や第三者の供述がないことをいわば口実として、学校が「いじめ」への対応を拒む事態が起きる可能性もあり、法が機能しないことになりかねません。


イ 判決ほどの厳格さは必要ない
(ア)「いじめ」指導には様々なもの
 事実認定してこれに法を適用し金銭を支払わせたり(従わないと強制執行)刑罰を科したりするのが裁判所の判決といえます。
 事実認定次第で被告(人)から財産、自由等を強制的に奪う結果につながりますので、事実認定は厳格であり、合理的疑いを超えて立証されない限り(十中八九などといわれます。)、事実認定はなされません。
 これに対して、学校における「いじめ」「行為」の事実認定はどのように考えるべきでしょうか。
 たしかに、「行為」の存在を前提に関係児童生徒に対し厳しく指導する場合には、厳格な立証が必要ともいえますし、さらに「行為」を否定する児童生徒に対して「うそをついてはいけない」と厳しく指導する場合には、さらに厳格な立証が必要ともいえます。
 しかし、「いじめ」の指導はそうしたものばかりではないでしょう。
関係児童生徒に対しても、上記のような指導の他、一定の「行為」を前提に「君はそういうけれども、人からはこう見える」「こういう行為があったとしたら、そういうことはしてはいけない」「今回は君とは違うとしても、そういうことはあってはならないよね」といった指導もありえます。
また、一定の「行為」を前提とせずに「最近対象生徒の元気がないけれども、君は何か知っているか」とか、対象児童生徒の名前すら出さずに「君最近どう?何か嫌なことはないか?」という形で働きかける指導もありえます。
さらに、関係児童生徒への直接の指導以外に、その保護者への働きかけもありえますし、学級集団全体に指導するとか、周囲の児童生徒の聴き取り・指導等もありえます。
 加えて、席替え班替え等、外的条件を変更することもありえます。
 そして、諸々の指導や働きかけに仮に困難があったとしても、対象児童生徒の支援やその保護者への働きかけは欠いてはならないところです。


(イ)判決ほどの厳格さは必要ない
 要するに、「いじめ」指導には様々なものがありうる以上、学校における「いじめ」「行為」の事実認定は、判決における事実認定のように厳格なものである必要はないと考えられます。
 関係児童生徒に厳しく指導する場合ばかりではない以上、十のうち六程度といった一応の確からしさで「行為」を認定するとか、十のうち四、三、二、一とある中で相対的にみてもっともありうる四を採用する形で「行為」を認定するとかいったことは十分可能でしょう。
 学校教育法第37条第11項が「教諭は、児童の教育をつかさどる。」として教育の内容を教諭の広範な裁量に委ね、法第23条第3項も「いじめ」への具体的対応を子細に記すことなく学校の裁量に委ねているところ、「いじめ」「行為」の事実認定も「いじめ」対応の一環ですから、「いじめ」「行為」を認定する方向においては、学校の広い裁量が認められるべきでしょう。
 一方、「いじめ」「行為」を認定しない方向については、「いじめ」隠蔽防止という立法趣旨からすれば、学校の広い裁量というわけにはいかないと考えます。


(ウ)「可能性がある」との事実認定
 学校における「いじめ」「行為」の事実認定は、事態への対処を目的としているといえます。
 そして、「いじめ」「行為」が存在する可能性があれば、何らかの対処は必要であることになります。(もちろん、存在可能性の大小等により対処内容は変わりうるところではありますが)。
 したがって、学校における「いじめ」「行為」の事実認定として、仮に「こういう『いじめ』『行為』がある」という事実認定には至らない場合であっても、「こういう『いじめ』『行為』が存在する可能性がある」という形の事実認定はありうるところでしょう。
 そして、対象児童生徒から「いじめ」の訴えがあるのなら、「いじめ」「行為」の存在可能性まで否定できるのは例外的である以上、「こういう『いじめ』『行為が』存在する可能性がある」という事実認定すらなされない場合というのは例外的ということになるでしょう。


(エ)重大事態調査における事実認定
 法第28条第1、2項が規定するとおり、重大事態調査は事態への対処と再発防止のために行われるものであり、学校における事実認定と同様の目的を有するものです。
 当然ながら、判決における事実認定のように、被告(人)の責任を追及し財産や自由等を奪うことを目的として行われるものではありません。
 上記(イ)(ウ)は重大事態調査における事実認定にも妥当するものといえます。

(オ)厳格な事実認定を行った調査報告書
 法施行後10年超を経過し、これまでに多くの重大事態調査がなされ、後にもふれますが、インターネット上でも多くの重大事態調査報告書をみることができます。
 その中には、対象児童生徒が訴える一つ一つの事実について、判決同様、証拠に基づき詳細な検討を加え厳格な事実認定を行っているものもあります。
 これは、調査委員会の多くに、事実認定の専門家的に、弁護士が関与していることが影響しているのでしょう。
 その努力については率直に敬意を表するものではありますが、反面、そこまで行う必要があるのか…その事実が認められるか否かで「いじめ」の実態についての判断が異なってきて指導のあり方まで変わってくるというのであれば詳細な検討は必要なのかもしれませんが、そうでなければ、そこまでの必要はないように思います。
 先に述べたとおり、「疑い」があれば重大事態調査は開始する以上、まともに取り組めば重大事態調査の件数は相当数に上るはずです。
 その1件1件で証拠に基づき詳細な検討を加えていたのでは、おそらく重大事態調査は滞留し機能しなくなるのではないかと危惧します。
 さらには、厳格な事実認定の結果、対象児童生徒の訴えの多くが欠落して断片的な事柄のみが認定され、これだけでは「いじめ」の実態や児童生徒の「苦痛」が看取しにくいことから、結局「相対的に軽微な事柄でも児童生徒の受け止め方は様々である」「児童生徒の心情への配慮が不足していた」といった内容の報告書になっていると思われるものも見受けられますが、このような調査報告書が事態への対処と再発防止にどのように資するのかというと、疑問があります。
 むしろ、判決とは役割が異なることを前提に、「いじめ」「行為」にあたる事実は「可能性がある」というものも含め広く認定した上で、「いじめ」の実態(これは「あったかもしれない『いじめ』の実態」でもよいでしょう。)を踏まえた再発防止策を検討した方が、より「いじめ防止対策」として意味があると思うのですが、いかがでしょうか。
 そして、当然のことではありますが、調査報告書が「いじめ」の事実を認定して学校の対応について問題点を指摘したとしても、判決が「いじめ」の事実を認定するとは限らないし、ましてや学校側の過失を認定するとは限りません。
 判決と重大事態報告書の役割の相違は改めて強調しておきたいと思います。

(カ)弁護士関与の落とし穴
 重大事態調査とは少し離れた話をさせていただきますが…
 弁護士がスクールロイヤー、教育委員会顧問として教育現場に関与する機会が増えています。
 法に則った教育ということで、児童生徒の人権を守ったり、教育活動を安全適正なものとする上で有益なはずです。
 しかしながら、弁護士が関与することで、「いじめ」対処に問題が生じているのではないかと思われることがあったりします。
 すなわち、弁護士が日常関わっている司法というものは、個々の問題につき事実を認定した上でこれに法律を適用し解決するというものです。
 そしてその解決には最後は強制力を伴うことから強力な実行力が担保されている一方、事実が認定できない以上何もできないというのが原則となります。
 こうした司法的な手法が学校教育に持ち込まれた場合、事実が認定されれば強力な対処となるが、事実が認定できなければ何もしないということにならないかと危惧します。
 特に、学校に弁護士が関与する上で期待されているのが、いわゆる「モンスターペアレント」対処であったりするところ、「モンスターペアレント」とされる事案において弁護士が学校・教育委員会側で登場し、「事実が認定できない以上対応できない」として、「モンスターペアレント」の要求をばっさり切る、という役割を果たしていないかを危惧しています。
 上記に述べたとおり、教育の現場は司法とは異なり、事実が認定できないからといって何もできないわけではなく、「事実が認定できない以上対応できない」として、「モンスターペアレント」の要求をばっさり切るという手法がとられているとすれば問題だと思います。
 「モンスターペアレント」の「不当要求」というものが本当にあるのなら、それは事実認定で切るのではなく、あくまで教育論として対処する、そして教育論を法的に裏付けるのであれば裁量論(教育のあり方やいじめの対処について法は基本的に学校の裁量に委ねています。裁判所は教育現場が専門的見地で悩み抜いて出した結論⦅こちらの保護者の方が手強いからこうしよう、みたいな邪な結論ではなく⦆について「裁量権の濫用」として責任を認めることはまずないでしょう。)で対処する方がよいのではないでしょうか。


ウ 関係児童生徒側の否認
 法律家による通常の事実認定に足りる程度に証拠が十分ならば、学校において「行為」を認定できるのは当然です。対象児童生徒の供述が唯一の証拠だったとしても、「行為」の認定が可能な場合もありうるでしょう(是非については議論があるでしょうが、被告人が否認していても実質的に被害者供述のみを証拠として有罪とされた痴漢事件などもあります。)。
 当然ながら、関係児童生徒側が否認していることだけで「行為」の存在の否定に直結させるべきではありませんし、ましてや「行為」が「なかった」とまで認定すべきではないでしょう。(「行為」が「あったとまではいえない」「あった可能性がある」はニュアンスの違いこそあれいずれも灰色ですが、「行為」が「あった」は黒色、「行為」が「なかった」は白色になりますので、使い分けには注意していただきたいと思います。)
 さらに、関係児童生徒が否認している上に客観的証拠がない場合、指導に慎重さが必要なことは当然の前提ではありますが、対象児童生徒の供述の信用性、関係児童の否認が単に記憶にないことにとどまるか否か、対象児童生徒と関係児童生徒との力関係やこれらを巡る人間関係、児童生徒の日常の行為、その他の事情を総合的に考察した上で、「行為」を認定し、これに基づき関係児童生徒に厳しく指導することは可能でしょう。
 ただし、いじめ防止対策推進法が組織的対応を求めていること、恣意的判断は避けるべきことからすれば、こうした認定を個々の教諭が行うべきではなく、しかるべき組織(いじめ防止対策推進法第22条)により行われるべきでしょう。


エ 周囲の児童生徒は中立の第三者か
 たとえ関係児童生徒が「いじめ」の存在を否定したとしても、周囲の児童生徒がこれを認める場合には、「いじめ」を事実として認定するということは妥当といえます。
 これに対し対象児童生徒が「いじめ」の存在を主張しても、周囲の児童生徒がこれを否定する場合に、「いじめ」がなかったと認定するということは不当です。
 なぜなら、「いじめ」が存在する場合、周囲の児童生徒は共謀者、同調者、傍観者として指導を受けるべき立場にあることが通常でしょう。
 しかも、通常の場合関係児童生徒は対象児童生徒より力関係で上位にあるのだから、「加害」児童生徒が周囲の児童生徒に圧力をかけ、あるいはそこまでしなくとも周囲の児童生徒が「加害」児童生徒を忖度する可能性は十分に認められます。
 「いじめ」がなかったと認定する場面においては、周囲の児童生徒は中立の第三者とはいえないと考えます。

オ 認定が困難でも対処は必要
 これまでの記述と若干重複しますが、再言いたします。
(ア)学校の対処
 「いじめ」への対処に際し、あいまいな事実に基づく指導・支援では十分な効果は期待できないことから、事実認定が重要であることは当然ではあります。
 しかし、事実認定に争いが多数あるなどして学校の裁量をもってしても事実認定に困難が残る場合、事実認定が困難として指導・支援が停滞してしまう可能性があります。
 こうした場合に、関係児童生徒側保護者において、高額の賠償が請求されるのではといったおそれを抱いているようであれば、スクールロイヤー等との面談等を通じ和らげる試みがあってもよいでしょう。
 そうした試みにも拘わらず、事実認定に困難が残った場合にはいかに対処すべきでしょうか。
 学校において事実が認定できた部分だけでも、「いじめ」の実態(特に人間関係のあり方)が把握でき、この実態を踏まえた関係児童生徒側への指導が可能であるならば、これを行うべきでしょう。
 その際、指導・支援の停滞を防ぐためには、その他の部分については認定を留保し、あるいは可能性の示唆にとどめることも許されるでしょう。
 一方、学校において事実が認定できた部分だけでは「いじめ」の実態把握が十分ではない場合については、対処のあり方を一概に論ずることは困難ではあります。
 ただし、対象児童生徒側への対処としては、対象児童生徒側が「いじめ」として訴える事実を基に、事案に応じ、可能な限りの支援を行うことを原則としてよいでしょう。


(イ)調査委員会の事実認定
 重大事態に対処し同種の事態の再発を防止する(法第28条第1項)上では、基本的には学校の対処のあり方を検討することとなるから、本委員会としても学校と同様の観点で事実を認定すべきでしょう。
 そして、事実認定に困難が存在する場合には、「いじめ」の実態(特に人間関係のあり方)が把握でき、学校・教育委員会の対処のあり方を検討できる範囲の事実を認定すればよく、ある部分については認定を留保しあるいは可能性の示唆にとどめることも許されると考えられます。
 そして、「いじめ」の可能性が否定できない以上、対処は必要ということになりますが、「いじめ」の実質と可能性の大小を踏まえつつ、対処のあり方は基本的には学校の裁量に委ねられることになります(重大事態調査の積み重ね等により、経験則の積み重ね・共有が期待されます。)。
 ただ、対処が必要である以上、学校が何も対処していない場合には厳しく指摘すべきこととなりますし、学校の対処内容が「いじめ」の実質と可能性の大小を踏まえても裁量の範囲を逸脱しているといえる場合には、これも指摘すべきでしょう。
 なお、学校と観点は共通としても、調査委員会は学校の事実認定に拘束されるものではありません。
したがって、調査委員会の事実認定は、学校における事実認定とも、もちろん判決における事実認定とも、異なりうることになります。


カ 事実が膨大な場合
 重大事態調査開始の際に、これまでの事実経過が資料で示されますが、その膨大さに圧倒されそうになることがあります。
 ある少数の事実の有無について争いがあり、これが重大事態発生について大きな影響を有する場合には、その部分については関係者の聴取等十分な調査を行い、判断理由を示した上で事実認定する必要もあるでしょう。
 しかしながら、中小の出来事が積み重なり膨大となった事案においては、一つ一つの事実について調査委員会による聴取を基にした事実認定を行っていたのでは、時間がいくらあっても足りません。特に関係者多数の場合、聴取記録を事務局に作成させるのであればともかく、そうでなければことごとく事情聴取するのは困難です。
 こうした場合には、関係者間に争いのなさそうな事実については資料からそのまま認定し、関係者間に若干の争いがある事実については両論併記するような形も許容されるのではないでしょうか。
 特に、「いじめ」そのものではない、問題発覚後の大人同士の対応などは、両論併記が活用されてもよいと思います。


キ 事案の全体像
 自死事案が典型ですが、判明している事実を並べただけでは断片的で、事案の全体像が分からないことがあります。
 全体像が分からないと、重大事態の原因も学校の対応の当否も分かりませんし、再発防止策も抽象的あるいは的外れになってしまいます。
 事案の全体像、とりわけ被害を受けた本人がどのような人間関係の中に置かれていたか、何故に「行為」があったのかを明らかにしていくことが必要です。
 そのためには、聴き取り調査の際に、判明している事実以外に何か気になる事実はなかったか、判明している事実は何故に発生したのか、対象児童生徒の日常の過ごし方や人間関係はどうだったか等を問い、認定していくことが必要と思われます。
 そうした聴き取りを通じても全体像が把握困難な場合には、専門家集団である調査委員会において、いくつかのケース(もちろん単数でもよい)を想像して、それを基に「いじめ」の原因と問題点の指摘、再発防止策の検討を行うべきでしょう。 

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