汚辱にまみれた記憶、または鶴見警察署大川常吉のこと。

2016-10-10

 神奈川新聞10月8日によると、横浜市の副読本の原案に「朝鮮人虐殺」がなかったところ、市民運動等の成果で記載が復活することになったとのことである。原案の情報公開を求めたのが、「歴史を学ぶ市民の会・神奈川」という団体で、よく見たら以前毒ガス事件でお世話になった北宏一朗さんが代表をつとめている団体であることを知った(旧知の人の活躍を知るのは楽しい)。
 ところで、記載に反対する側は、日本の過去を汚辱にまみれさせたくないという配慮があるのだろう。その気持ちはわからなくはない。
 しかし、そうとばかりは言えないと思うようになった。それは、同業者のメーリングリストで以前、野村和造弁護士が紹介した鶴見警察署の大川常吉署長を知ったためである。大川署長は関東大震災当時流言蜚語により激高した一部暴民が鶴見に住む朝鮮人を虐殺しようとする危機に際し死を賭してその非を強く戒め三百余名の生命を救護した警察官である(碑文から)。
 群集約千人が署を包囲し、「朝鮮人を殺せ」と激高する中で大川署長は「朝鮮人たちに手を下すなら下してみよ、憚りながら大川常吉が引き受ける、この大川から先に片付けた上にしろ、われわれ署員の腕の続く限りは、一人だって君たちの手に渡さない!」といってわずか30人の署員らで守ったという。以上について、関東大震災のちょっといい話/朝鮮人300人の命を守り抜いた警察署長http://www.bo-sai.co.jp/kantodaisinsaikiseki5.html 
 尋常ならざる勇気である。一部であってもそのような勇気のある日本人がいたことは誇らしい。朝鮮人虐殺の歴史に触れることは、勇気ある日本人を紹介することにもつながることである(山森)。

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