戦死者の遺族の想いまたは夢千代日記

2015-05-15

 第2次大戦戦後、ダッハウ強制収容所を解放したのがアメリカ陸軍442歩兵部隊、いわゆる日系人部隊であるということをクローズアップ現代(2015年5月12日放送)で知りました。ダッハウは20年前ドイツを旅行したときに行った場所です。ミュウヘンの近くで、ドイツ国内だけあって、強制収容所の実態が抑制されて表現されているという印象をもっています。写真や施設の残りはありましたが、ユダヤ人の遺品はほとんどなかったと思います。ただ、70年前に日系人部隊が駐留したかと思うと、思い出のひとこまが別のように思えてきます。
 ところで、日系人部隊は普通の部隊と比べて死傷率が3倍だったそうです。そして、死傷率が異常に高い理由について、2説ありA捨て石説、B勇猛果敢な部隊であったから説があるそうです。どうも歴史的事実はA捨て石説が正しいようですが、捨て石説は遺族にとっては耐えがたいという言葉に胸をうたれました。それはそうでしょう。自分の息子が捨て石にされたということは認めがたいことです。うすうす捨て石説が正しいと知りながら、勇猛果敢説を敢えて主張する論者の気持ちを想いました。
 唐突ですが、思い出すのは、昔よく見た吉永小百合の夢千代日記です。もううろ覚えになってしまったのですが、女性問題で自殺した息子のために、その女性を責めつづける両親という話があったように記憶しています。しかし、よくよく聞いてみると、息子が自殺したのはその女性のせいではなく、なにか不名誉な事情で自殺しており、しかし、それでは息子があまりに寂しくて惨めすぎるので、両親はその女性のせいで自殺したということにしているということがわかってきます。非難されている女性も両親の思いがわかっているので自分に対する非難を敢えて否定しないというような話であったように記憶してます。まことにもって非論理的な話ですが、非業の死を遂げた息子の両親の悲痛な思いが伝わってくるような話で印象に残っています。
 決めつけるつもりはありませんが、日系人部隊の死傷率が他と比べて異常に高かった理由を勇猛果敢なベストな部隊であったからとする立場の心情に近いものを感じます。
 このことは、また、我が日本における特攻隊員に対する尊敬の念を思い出します。歴史的にみると特攻隊員は愚鈍で残酷な政治指導者の犠牲にされたとしか思えないのですが、死んだ一人一人の人間のことを考えるととてもそのようにいうことはできないように思います。
 戦死者は当然のことながら死んでしまっていません。死者の遺族も大部分なくなっていきます。仮に誰もいなくなっても遺族の思いは忘れたくありません(山森)。

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