人間の内発性または撫順戦犯収容所のこと

2017-02-23

 ガンディー獄中からの手紙(100分で名著)の中で中島岳史はガンディーの戦略について以下のように言う。
「非難されるのではなく赦されことで、加害者の側には「自分はこんなに暴力的なのに、相手は赦すと言っている」と言う思いが生まれ、それが状況変えていく。そして赦される側、加害者側の内発性が喚起されることにガンディーは目を向けたのです」p91

 この文章で思い出すのは野田正彰「戦争と罪責(岩波書店)」で引用されている土屋芳雄の物語である。
土屋は戦前中国チチハルで思想問題専門の憲兵として活動した。その活動は残虐を極め、活動記録を読んでいるうちにページを進めることができなくなってくる。その土屋は戦後、撫順戦犯収容所に収容される。処刑と思いきや人道的な取り扱いを受ける。その過程で土屋は苦しくなってくる。以下の文章は土屋が変わっていく過程の文章である。

「その時、ふと、俺は一度だって中国人を散髪させたことも、風呂に入れたさせたこともなかったな、と思った。続けて張恵民と妻をだまくらかして、張を処刑したことも、80歳の老母を鉄道自殺に追いやったことも頭に浮かんできた。罪行がぐあーと頭に押し寄せてきた。頭をコンクリートにぶちつけ、叩き割ってしまいたくなってしまった。劉所員はニコニコして、私たちの先頭を歩いていた。胸の堰が切れた。俺は一体どうしたらいいんだろう。いてもたってもいられなくなった。涙がこみ上げてきた。自分でもどうしようもなかった。目の前がぼーっとするようだった。私はうろたえた 。力が抜けていくのがわかった。そして、ふらふらと、劉所員の前に私は立った。私は崩れ落ち、両手をついて、土下座をした。「おい52号どうしたんだ」劉所員の声は優しかった。「私は極悪人だ!。中国人民にひどいことをしてしまいました。ひどいことをしてしまいました」床に頭を擦り付けた。涙があふれ、鼻水も滴ってきた。半狂乱だった。あたりは静まり返って私の嗚咽だけが響いた。自分ではどうしようもなかった。長い、長い時間だった。ひとしきり泣き叫ぶと、劉所員が膝をついて、私の腕をとった。「よくわかりました。よくわかりました。どうか立ちなさい。どうか立ちなさい」劉所員はハンカチを取り出し私を抱きかかえるようにして立ち上がらせた」(p271以下)

長々と引用したが何度読んでも感動する。ガンディーの言う通りだと思う。しかし、同時にこんな事はとても自分にはできないと率直に思う。私が中国人であったらとても土屋を許す事はできない。私が土屋であったら(世が世であるならばこれはありえない話では無い。土屋は特殊な人間とは思わない)このように罪行を認めることができるか自信がない。
 このように無限に遠い距離ではあるが、導きの星として頭の片隅に留めておきたい。正直なところ、現在、いえるのはその程度だ(山森)

Copyright(C) Shonan-Godo Law Office. All Rights Reserved.