またまた無学な話または「止まるを知りて后定まるあり」

2016-04-06

「大学」第1段第1節2段落目書き下し文
①止まるを知りて后定まるあり。
②定まりて后能く静かなり。
③静かにして后能く安し。
④安くして后能く慮る
⑤慮りて后能く得。
⑥物に本末有り、事に終始あり
先後するところを知れば、則ち道に近し
について、新釈漢文体系は以下のように解釈している。
①(完全無欠な善を)よりどころにして行うべきを知ってこそ(人の志は)一定する。
②人の志が一定してこそ、(心は雑念なく)静かなることができる。
③(心が)静かになってこそ、(ものごとに)ゆとりをもって(向かうこと)ができる
④(こころに)ゆとりをもってこそ、(ものごとに)正しい判断をくだすことができる。
⑤正しく判断してこそ、(いかなるものごとにも)もっとも適切に処理することができるようになる。
⑥ものごとには重要度による区別と先後の順序があるものである。その順序をわきまえ、(最も重要なものから処理す)るならば、道(を修得したものである)といってよいものである。
と解釈している。
このうち、②~⑥はわかる。しかし、①の解釈が不可解であった。書き下し文「止まるを知りて后定まるあり」からどうして「(完全無欠な善を)よりどころにして行うべきを知ってこそ(人の志は)一定する。」などという解釈がでてくるのか、
 この点、諸橋の「人間の最終、とどまるべき目標が決まってくると、その次に自分の方針も一定してくる」、あるいは金谷「ふみどどまるべきところがはっきりわかってこそしっかり落ち着くということになり」の方がよほど素直でわかりやすい。
 しかし、矢羽野「止まるべき目標(究極の善のありか)を知って、その志の方向が決まり」の解釈を読んで、ようやく、前段の「大学の道は、明徳を明らかにするに在り。民に親しむに在り、至善に止まるに在り」を受けていることに気づいた。大上段に振りかぶった第1段落はどうも好きになれず、無視していた。第1段落をふまえればそのような解釈の仕方も確かにありか(山森)。

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