矢口仁也先生または穏やかさと毅然たる態度

2013-02-25

 2月24日矢口仁也先生を偲ぶ会がグランドホテル湘南で開かれました。矢口仁也先生は1923年生まれ、京都大学在学中、学徒出陣で召集、教官となり敗戦、復学した後、高校教諭となり、長く教頭・校長先生を歴任しました。退職後はABC企画委員会代表、阿部知子議員の全国後援会長をつとめられました。ここにAとはAtomic、BとはBiological、CとはChemicalのことで、原爆、生物、化学兵器に反対する反戦団体です。2012年12月お亡くなりになりました。89歳でした。最晩年までお元気で、亡くなるときも、おひとりで食事の準備をして、さあ食べようというところで、座ったまま亡くなられたとのことです。大往生といっていいと思います。
 私は、矢口先生とは十数年前から戦後補償裁判でお世話になってきました。いつもニコニコして達磨さんのような先生でした。私の知る限り、荒れたところは全くありませんでした。しかし、決然として戦前戦中の日本の侵略を非難しました。そして、被害者に加害を謝罪しました。
 ところで、矢口先生の過去を振り返るコーナーで1970年代、高校紛争で、学校が荒れた頃、矢口先生は紛争解決人として荒れた学校に派遣されて紛争を次々と解決していったということを知りました。いつも温厚で円満な人柄しかしらなかったので意外な思いで聞いていました。
 しかし、考えてみると、誠実で、真摯な矢口先生と対すれば、高校生であれ、誰であれ、説得されざるを得ないでしょう。誰もが嫌がる仕事であると思いますが、それを敢えて引き受け、着々とこなしていったのは矢口先生らしいと思います。侵略戦争に対する決然たる批判を考えると、矢口さんの穏やかさと毅然たる態度は表裏のものであることを思い至りました。
矢口先生のご冥福をお祈りします。 (良)

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