「生き残って申し訳ない」、または、知花くららの祖父

2014-06-12

美人の写真が新聞に載っていたのでふとみてみた記事である。以下、要約である。この記事に付け加えることは何もないと感じた(山森)。
「モデル知花くららの祖父は家庭で戦争の話がでると決まって席を外していた。知花は話題にしてはいけないことであると感じていた。後年、知花は出演するテレビで祖父に戦争体験を聞く機会があった。祖父は自分の戦争体験を初めて孫に語った。
 1946年3月26日慶留間島に米軍が上陸した。15歳の祖父と姉は2人で自決を決め、祖父は姉の首を絞めた。自分はヤシの葉をヒモ代わりにして木にくくりつけ首をつろうとした。が、2人とも死にきれなかった。祖父は「生き残っていることが申し訳ない」といって涙を流した。
 祖父の言葉に、知花は命のつながりを実感した。祖父が生き残っていてくれたおかげで、親がいて、自分がいる。命こそ宝である」(6月12日朝日新聞朝刊聞き手木村司)。

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