「グレーな弱者」または目を凝らしてみること。

2013-08-08

NHKEテレビのハートネットTVシリーズ貧困社会「さまよえる女性たち」は子供を養うために風俗店に働くシングルマザーとキャパクラで働いて20万円を家族に仕送りしている20歳の女性を紹介している。このような女性たちを番組のゲストで社会学者開沼博はグレーな弱者と評している。なるほど思う。彼女たちは清く正しく貧しい健気な弱者ではない。気の毒な弱者であるとして、社会的に同情を受ける存在ではない。むしろ、批判の対象になりかねない。かくいう私自身が冷たい眼差しをしていることを自覚する。しかし、強者ではない(虫けらのように扱われたという20歳の女性の言葉に胸が痛む)。放置しておいてよい問題ではない。放置していれば、性風俗のセーフィティネットによる救済があるだけである。
 しかし、そうはいっても見えにくい、見えたとしても問題にしにくい人権問題である。
翻って、人権問題のうち少なからざる部分はグレーな側面があるのではないか。誰が見ても気の毒な人の問題を人権問題とするのは、(声を出す勇気があるかどうかはとりあえず措くとして)、誰も異論はないだろう(例えば、激症型水俣病患者の救済)。しかし、外形的に見て気の毒な状態にあるかどうかよくわからないケース(例えば非激症型水俣病患者)の場合、議論が分かれるだろう。見えざる、見えてもわからない人権問題である。われわれは目を凝らして事柄の本質を見抜かなければならない(山森)。

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