藤沢で使用されている育鵬社教科書にはこんな問題が…⑪「日本がもっと好きになる」は無理(改題)

2015-07-23

 今月20日から22日,神奈川新聞が,中学校教科書採択についての記事を連載しました。 
 記事はこちら→「神奈川新聞 教科書採択”本番”へ」
 前回(2011年)採択では,育鵬社の歴史・公民教科書は全国的には約4%のシェアですが,横浜市,藤沢市が採択した結果神奈川県内では約4割のシェアとなっています。
 しかも,育鵬社の教科書は,全国で計約96%を占める東京書籍,教育出版,帝国書院,日本文教出版,清水書院(以下,これら5社を「他社」といいます。)の教科書とは,これまでのブログや「自由法曹団意見書」等で指摘してきたとおり,内容が大きく異なります。
 いい方を変えれば,横浜,藤沢の生徒は,日本の約96%の生徒らが学ぶ教科書とは内容が大きく異なる教科書で学んでいるということになります。
 このことを肯定的にとらえるか否定的にとらえるかはともかくとして,神奈川県にとって重要な問題であることは明らかで,採択直前期に神奈川新聞がこうした連載を行ったことは時宜を得たものと思います。
 この神奈川新聞の連載では,「日本がもっと好きになる教科書を」というスローガンを掲げて育鵬社の教科書採択を求める団体「日本教育再生機構」理事長の八木秀次麗澤大教授(以下「八木教授」といいます。)の見解も掲載されています。

1 パレスチナ問題,テロ,アフガン・イラク戦争より神話が大事?
 八木教授は「私が執筆したこの教科書には、日本の神話が紹介されている。神話、伝承を知らずして、日本の未来を学ぶことはできない」と発言された旨報じられています。
 しかしながら,育鵬社の歴史教科書は丸々2頁にわたり神話を載せる一方で,パレスチナ問題についてはふれていません。
 もっとも,中東戦争の影響で石油危機があったことが本文でふれられ,注で「イスラエルとアラブ諸国との戦争。1948年,56年,67年,73年と4回くり返された」とは書かれていますが,これでは戦争があったことしかわからないでしょう。
 アメリカの同時多発テロからアフガン戦争,イラク戦争への流れも次のような書き方で,これ以外にテロに言及した部分はなく,ましてやアメリカの戦争の正当性への疑問は全く書かれていません。(何故か日本の関与も書かれていません。)
「2001年,ニューヨークなどがテロリストの攻撃を受け,アメリカはそれをかくまっていたアフガニスタンのタリバン政権を攻撃し,ついでイラクのフセイン政権をたおしました。」
 なお,育鵬社の公民教科書も,テロについては「2001年9月11日にアメリカで起こった同時多発テロのような事件が続発し,国際社会にとって大きな脅威となっています。」と述べるのみです。
2頁あれば,相当に突っ込んだ記述もできると思うのですが…
 日本の未来を学ぶ上で,神話,伝承よりもパレスチナ問題やテロの原因等の方が重要だと思うのは私だけでしょうか?

2 育鵬社こそ「自虐的」では?
(1)「日本がもっと好きになる」というけれど…

 「日本教育再生機構」のスローガンではありますが,「日本がもっと好きになる」というのは,そもそも何のためでしょうか?
 「日本をもっと好き」にさせてこどもをどのように導こうとしているのでしょうか?
 ここでは問題提起をしておきたいと思います。

(2)いいことばかり書けばいいのでしょうか?
 八木教授は,「日本のことを悪く書き、どこの国の教科書か分からない教科書がある」とも発言しておられます。
 しかし,私が他社の教科書を読む限り,「悪く書き」というに値する記述は見いだせません。政府も採用しているであろう常識的な歴史観に沿い,事実を記載しているだけだと思います。
 そもそも,日本について否定的な記述をすべきではない(あるいは極力減らす)という観点に八木教授が立つのであれば,それは政府の見解とも異なると思います。
 すでにブログ④で書いたことでありますが,教育基本法改正時の国会で,政府は国を愛する態度の養い方として,
「過去の歴史で我が国が、例えば中国の元朝からどういう攻撃を受けたときに、我々はどういう対応をしたか、また秀吉の時代に朝鮮半島にどういう行為をしたか、そういうことをいろいろ反省をしたりあるいは検証をしたりしながら今日に至っているということを子供に教えていく。そして、そのことが結果的に、日本の国土と、そこで営まれてきた文化、伝統、そういうものに対する尊敬をつくり上げていく、そういう指導要領にぜひしたいと思っております。」(平成18年11月15日 衆議院教育基本法に関する特別委員会河村建夫議員の質問に対する伊吹文明文部科学大臣答弁)と,よいことも悪いことも含め事実を教えることを積み重ねることで国を愛する態度を養う旨を答弁しています。
 歴史を教える方法としては,私も政府の見解に概ね賛成です。
 道徳的にも,そういうものでしょう。
 実利的にも,他国で一般的な事実認識を知識としてでも知らないと,他国の人たちと接したときに,無用の問題を引き起こすと思います。

(3)育鵬社こそ「自虐的」では?
 とりあえず上記(1)(2)の点をおき,仮に「日本をもっと好きになる」ことを是としても,育鵬社の教科書では「日本をもっと好きになる」ことはできないと思います。
ア 育鵬社の歴史教科書
 すなわち,育鵬社の歴史教科書では,日本の戦後の歴史については,経済面・文化面での記述を除けば,特に肯定的といえる記述は見当たりません(せいぜい援助ぐらいの話でしょう)。
 むしろ,次のように否定的な書き方が目立ちます。
「日本国憲法の最大の特色は,交戦権の否認,戦力の不保持などを定めた,他国に例を見ない徹底した戦争放棄(平和主義)の考えでした。しかし,占領が終わり,わが国が独立国家として国際社会に責任ある立場に立つようになると,憲法改正や再軍備を主張する声があがりました。」
「(湾岸戦争の際)わが国は巨額の戦争費用を負担しましたが,憲法の規定を理由に人員を派遣しなかったため国際社会の評価は低く,国際貢献のあり方があらためて問われる結果となりました。
 このため,わが国は1992年以降,内戦が続くカンボジアに国連の平和維持活動(PKO)として自衛隊員を派遣するなど,自衛隊の海外派遣を行うようになりましたが,武力の行使は認められていません。」
イ 育鵬社の公民教科書
 育鵬社の公民教科書も同様です。
 既にブログ④でふれたとおり,育鵬社は平和主義については次のように記述するにとどまります。
「第二次世界大戦に敗れた日本は,連合国軍によって武装解除され,軍事占領されました。連合国軍は日本に非武装化を強く求め,その趣旨を日本国憲法にも反映させることを要求しました。
 このため,国家として国際紛争を解決する手段としての戦争を放棄し,「戦力」を保持しないこと,国の「交戦権」を認めないことなどを憲法に定め,徹底した平和主義を基本原理とすることにしました。国民に国防の義務がない徹底した平和主義は世界的には異例ですが,戦後日本が第二次世界大戦によるはかりしれない被害から出発したこともあり,多くの国民にむかえ入れられました。」
 これ以上には,憲法の平和主義のもつ意義にも,わが国の平和国家としての歩みにも,全くふれておらず,当然ながら肯定的な記述はありません。
 一方では,こんな記述もあります。
「自衛隊がPKOなど他国軍と共同で活動しているときに,万が一,他国軍が攻撃された場合でも,日本の自衛隊は相手に反撃することができないとの指摘があります。」
ウ 憲法第9条のために評価されない日本?!
 結局,育鵬社の教科書で学んだ場合,「憲法第9条のために,日本は海外で武力行使できず,国際社会において責任を果たしておらず,国際社会から評価されていない」と生徒は感じるのではないでしょうか?
 これで「日本をもっと好きになる」ことができるとは思えません。
 「憲法第9条を改正しない限り,海外で武力行使できず,国際社会から評価されない」「憲法第9条を改正しない限り,日本を好きになれない」と考えるのではないでしょうか?
 まさにそれこそが一番教えるべきこと,というのであれば,「日本をもっと好きになる教科書」とのスローガンにはそぐわないと思います。
エ 育鵬社の教科書よりも…
(ア)閣議決定

 これも既にブログ④で紹介しましたが,集団的自衛権の行使を容認した2014(平成26)年7月1日の閣議決定は,冒頭において次のように述べています。
「我が国は、戦後一貫して日本国憲法の下で平和国家として歩んできた。専守防衛に徹し、他国に脅威を与えるような軍事大国とはならず、非核三原則を守るとの基本方針を堅持しつつ、国民の営々とした努力により経済大国として栄え、安定して豊かな国民生活を築いてきた。また、我が国は、平和国家としての立場から、国際連合憲章を遵守(じゅんしゅ)しながら、国際社会や国際連合を始めとする国際機関と連携し、それらの活動に積極的に寄与している。こうした我が国の平和国家としての歩みは、国際社会において高い評価と尊敬を勝ち得てきており、これをより確固たるものにしなければならない。」
 周知の通り,上記閣議決定が集団的自衛権の行使の容認したことについては激しい賛否の対立はあるわけですが,上記引用部分=日本国憲法の平和主義の下で戦後70年間平和国家として歩んできたこと自体については,わが国において概ね肯定的な評価がなされてきたものといえ,他社の教科書はほぼ同様の立場で書かれています。
 育鵬社の教科書よりも,この閣議決定冒頭部分の方が,よほど日本のことを好きになれるのでは?
(イ)河村建夫議員発言
 教育基本法改正を審議した国会で,前出の自民党の河村建夫議員(文部科学大臣経験者)は次のように発言し,これを承けて答弁した小坂文部科学大臣も河村議員の発言を肯定的に評価しています。
「日本は、教育立国の意識のもとに、戦後、現教育基本法のもとで国づくりをやってきた。そして、世界の経済大国と言われるところまで来たわけであります。私は、伝統と文化を尊重し、そしてそれらをはぐくんできた我が国と郷土を愛する、このことが政府案として明記されておるということ、これは一つの意義のあることだ、こう思っております。特に、日本の歴史、伝統、文化、日本人としてこれを愛して、そして誇りに思っていく、これはやはり大事なことだと思うんです。
 実は、ことしの二月にイギリスのBBC放送がアメリカのメリーランド大学と連携をして、世界の三十三カ国の国民に対して、約四万人近い方々でありますが、日本、アメリカ、イギリス、フランス、ロシア、中国、インド、イラン、この八カ国に対してどう評価するか、いわゆる好ましい影響を与えておるかどうかについて世論調査をやっておるのであります。ここに資料があるのでありますけれども、その結果、どういう結果が出たか。そのアンケート調査の結果によってみますと、日本は世界に望ましい影響を与えている、そう回答した国が、最も多い、三十三カ国のうち三十一カ国が日本だと。この八カ国の中で最も高い評価を得た、こういう報告がなされておるわけであります。
 私は、そういう面からしても、日本が平和国家、先ほど申し上げました、あの二十二年、教育基本法をつくるときの先輩の方々の思いというものが世界においても評価されている、私は、そのことはやはり、もっともっと誇りを持つべきことだ、こう思っております。」(平成18年5月24日衆議院教育基本法に関する特別委員会河村建夫議員発言)
 戦後の平和国家,教育立国としての歩みは日本の歴史,伝統,文化であり,それが世界で高く評価され,そのことに誇りをもつべきだ,ということでしょう。
 「(湾岸戦争の際)わが国は巨額の戦争費用を負担しましたが,憲法の規定を理由に人員を派遣しなかったため国際社会の評価は低く」などと育鵬社は記載していますが,そこでいう「国際社会」とは一体何なのでしょうか。
オ 結局のところ
 育鵬社の教科書を支持する方々は,日本国憲法下の日本を好きになってほしいわけではないのでしょう。
 おそらく好きになってほしいのは,縄文時代から大日本帝国憲法下までの「古き佳き日本」であって,だからこそ神話,伝承が強調され,古代から連綿と続く文化が強調され,大日本帝国憲法の先進性が強調され,大日本帝国憲法下で発生した悪いことにふれる教科書に対しては「日本のことを悪く書き、どこの国の教科書か分からない教科書がある」と非難をなされ,日本国憲法下の平和国家としての歩みは全く評価されないのでしょう。
 育鵬社の教科書を支持される方々は他社の教科書を「自虐的」と非難されたりしますが,戦後日本の歩みに関しては,育鵬社教科書こそ「自虐的」です。
 もしも「自虐的」であること自体が問題だとするならば,その「自虐」性は現在の日本に向けられている分だけ,育鵬社の教科書の方がより問題は大きいのではないでしょうか。

(4)内心のあり方は「人それぞれ」
 そもそも好きになるとか,愛国心とかの内心のあり方は「人それぞれ」であるべきものです。
 ブログ④で紹介したとおり,安倍首相もかつて次のとおり答弁しています(衆議院教育基本法に関する特別委員会平成18年6月5日)。
「国を愛する態度を涵養していく、あるいは国を愛する心でもいいんでしょうけれども、それはどういうことかといえば、日本という国の歴史や文化や伝統に対する知識を深めていく、そして自分をはぐくんできた郷土であり、そしてまた、それは文化、歴史の連続性の中にあるわけでありますから、それを総体的に、自分はその一部の中ではぐくまれてきたという認識のもとにいとおしく思っていく、そしてその中で、もっとその地域をよくしていきたい、その国に住む人たちに連帯を感じ、そういう同じ国に住む人たちのために力になっていきたいという気持ちではないだろうか、そして、そういう行動をとっていく人たちのことを愛国者と呼ぶのではないかと、こう思うわけでございます。ですから、それは人それぞれなんだろうというふうに思いますし、その発露の仕方はいろいろあるんだろうと、このように思うわけでございます。」
 愛国心のあり方は「人それぞれ」であり、愛国心に基づく行動の仕方も「人それぞれ」であるはずです。
 もちろん愛国心をもつかもたないかも「人それぞれ」で自由なはずです。
 「人それぞれ」である以上,愛国心をもつようことさらに導くべきものでもないでしょう。
 日本を好きになるかどうかも同様だと思います。
 そして,仮に日本を好きになることを是としても,育鵬社を支持される方々のおっしゃる「好きになる」はどうやら今の日本に向けられたものではなく,縄文時代から大日本帝国憲法下までの日本に対するもののようです。
 そうなると,かなり特殊な「好き」では?
 それは日本を戦争の破局に導いた愛国心とどこが違うの?
 そうした「好き」に導こうとする育鵬社教科書って何?
 疑問は湧くばかりです。
 少なくとも,育鵬社の教科書について,「日本がもっと好きになる教科書」ということで採択を推し進めるべきものではないと思います。(小池)

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