育鵬社公民教科書の問題点④  神奈川県内法律家4団体意見書

2020-07-01

神奈川県内の法律家で構成する4つの団体=神奈川労働弁護団,社会文化法律センター神奈川支部,自由法曹団神奈川支部,青年法律家協会弁護士学者合同部会神奈川支部連名の,育鵬社公民教科書の問題点についての意見書が発表されております。

先にお知らせした自由法曹団の意見書がA4で51頁の網羅的なものであるのに対し,神奈川の意見書は日本国憲法の三原則の部分に絞りつつ,他社教科書との対比を明確にしたものです。下に貼り付けますので,ご一読いただければ幸いです。(小池)

育鵬社の公民教科書に関する意見書

2020年6月23日

神 奈 川 労 働 弁 護 団      

社 会 文 化 法 律 セ ン タ ー   神奈川支部

自   由   法   曹   団  神奈川支部

青年法律家協会 弁護士学者合同部会  神奈川支部

【意見の趣旨】

育鵬社の公民教科書には,日本国憲法に関する記述等において,法律家として看過し得ない重大な問題があり,子どもの学習権保障の見地から適切とは言い難い。よって,教育委員会,学校長等の採択権者に対し,これを採択しないよう求める。

【意見の理由】

第1 はじめに

 現在,2021年度(令和3年度)に使用されることになる中学校教科書の採択が,各地の教育委員会等において行われている。

 その対象となる教科書のうち,育鵬社の公民教科書(以下,「育鵬社教科書」という。)は,憲法に関する記述等において,法律家として到底看過することのできない多くの重大な誤りを含んでいる。このような教科書が採択され,中学校で使用された場合,子どもの学習権の保障の見地から,極めて深刻な問題が生ずると言わざるをえない。

 わたしたち神奈川県内に法律事務所を置く弁護士によって構成する法律家4団体は,その連名により,前回2019(令和元)年採択において育鵬社教科書を採択した横浜市及び藤沢市については継続採択をすることのないよう,また,前回育鵬社教科書を採択しなかった自治体については採択することのないよう強く求め,ここに意見を表明する。

第2 国民主権に関する理解の誤り

1 国民主権に関する憲法上の標準的な理解

 日本国憲法は,国民主権,基本的人権の尊重,平和主義の3つを基本原理とする。

 このうち,国民主権とは,国の政治のあり方を最終的に決める力(主権)が国民にあるという意味であり,君主主権と対抗関係にある概念である。この主権について,大日本帝国憲法は,天皇を統治権の総攬者であって,国家の全ての作用を統括する権限を有するものとし,すなわち天皇に主権が存するものとされていた(天皇主権)。

これに対し,日本国憲法は,上記のような天皇主権を否定し,主権が国民に存するものとした(国民主権)。これにより,国民は政治の意思決定権を持つようになった。他方で,天皇は日本国民統合の象徴とされ(日本国憲法第1条),国政に関する権能を有しないものとされ(同第4条),憲法上の天皇の地位は大きく変わることとなった。

 これが国民主権に関する憲法学の標準的な理解である。

2 他社教科書の国民主権に関する記載は,憲法学の標準的な理解に即している

 他社の教科書(ただし,育鵬社教科書と同様の「つくる会系教科書」である,自由社の公民教科書を除く。以下,「他社の教科書」という。)も,国民主権について,この標準的な理解と同様に説明している。  

 すなわち,他社の教科書の具体的な記述をみてみると,「日本国憲法の制定により,日本国憲法の主権者は国民になりました。・・・主権が国民に移った結果,天皇は象徴の地位を持つだけになった」(帝国書院38頁),「日本国憲法は,・・・大日本帝国憲法での天皇主権を否定して,主権は国民が持つとし」(東京書籍42,43頁),「日本国憲法は,・・・天皇主権を否定し,国民主権を基礎とする」(日本文教出版41頁)とされている(教育出版44,45頁)。

 このように,他社の教科書では,日本国憲法制定によって天皇の地位が大きく変わり,天皇主権から国民主権になったことが適切に説明されている。

3 育鵬社教科書は,天皇主権から国民主権への大転換が記載されていない

 これに対し,育鵬社教科書では,「大日本帝国憲法では,天皇は元首であり統治権の総攬者でしたが,例外的に実権を行使した以外は直接政治を行ったわけでありませんでした。」(43頁 下線は引用者による。)とされている。また,育鵬社教科書には,大日本帝国憲法下において,天皇主権がとられていたことの記載が一切ない。

 そのうえで,育鵬社教科書は,「日本国憲法は天皇の位置づけを,大日本帝国憲法での統治権の総攬者から,日本国および日本国民統合の象徴へと,とらえ直しました。」(41頁)と記述し,あたかも大日本帝国憲法と日本国憲法との間で,天皇の地位が変わることなく存続しているかのように説明している。

 これでは,大日本帝国憲法下での主権者が天皇であったことが,全く分からない。また,その後日本国憲法において,天皇主権が否定された結果として,国民主権が規定されることとなったことも,全く分からない。

 したがって,育鵬社教科書では,大日本帝国憲法下では天皇が主権者であり国の統治のあり方を決めていたことの大きな問題点が全く明らかにされない。さらには,日本国憲法の制定によって国民が主権者となり,ようやく国民が国の統治のあり方を決めることができるようになったという,大日本帝国憲法と比較しての日本国憲法の長所について,全く明らかにされない。すなわち,主権者の大転換という,国民主権に関する憲法学の標準的な理解が,全く記載されていないのである。

4 以上から,育鵬社教科書の記述は,憲法学の標準的な理解から逸脱している。そして,他社教科書と比較して,育鵬社教科書は,天皇主権という主権に関する大日本帝国憲法の大きな問題点を明らかにせず,また大日本帝国憲法と比較しての日本国憲法の主権に関する長所を明らかにしない。これでは,子どもたちは,主権について,大日本帝国憲法と日本国憲法との間の違いを学ぶことができず,国民主権の尊さを学ぶことができない。

このため,育鵬社教科書は,中学校教科書として不適切と言わざるを得ない。

第3 基本的人権に関する理解の誤り

1 基本的人権に関する憲法上の標準的な理解

 基本的人権とは,人間の固有の尊厳に由来する普遍的な権利であり,公権力から侵害されない権利である(日本国憲法第11条,第97条)。すなわち,人権とは,憲法や天皇から恩恵として与えられたものではなく,人間であることにより当然に有するとされる固有の権利である。歴史的に,人間の権利・自由は,公権力によって最も多く侵害されてきた。このような沿革から,人権は,原則として,公権力によって侵されないものと理解され,憲法に具体化されているのである。すなわち,侵すことのできない「人権」の方が憲法より先にあるのであり,この「人権」を保障することを国家に約束させたのが,「憲法」なのである。これは,憲法の理念である,立憲主義の考え方である。

 このことを前提に,とりわけ「法の下の平等」(日本国憲法第14条)について述べておくと,ここでいう「平等」とは,すべて個人をただ単に均等に扱うという形式的平等(機会の平等)のみを指すのではなく,積極的に差別(不平等状態)を解消していくという実質的平等(結果の平等)という意味も重視されると解されている(「憲法【第七版】」芦部信喜・129,130頁)。これは,19世紀から20世紀にかけての市民社会において,個人を均等に扱うのみでは,持てる者はますます富み,持たざる者はますます貧困に陥り,事実としては不自由・不平等が拡大したという歴史的経緯に基づく。このため,20世紀の社会福祉国家においては,社会的・経済的弱者に対してより厚く保護を与え,他の国民と同等の自由と生存を保障するという実質的平等を重視する方向へと,平等の理念において重要な推移が生じたのである。

 以上が,基本的人権に関する憲法学における標準的な理解である。

2 他社教科書の基本的人権に関する記載は,憲法学の標準的な理解に即している

(1) 他社の教科書は,以上のような憲法学における通常の理解に即して,歴史的に,強大な権力を持つ支配者によって人々の意思を無視した政治が行われ,それにより人々が苦しめられたという歴史的沿革を取り上げている。

 そして,これまで公権力によって行われた基本的人権の侵害となる例が具体的に挙げられている。すなわち,戦前における,治安維持法による言論弾圧・検閲・盗聴・不当逮捕・拷問,女性に選挙権がなかったこと,及び,ハンセン病患者への不当な隔離政策による人権侵害などである(教育出版48頁以下,東京書籍49頁以下,帝国書院35頁)。

 以上をふまえ,他社の教科書には,人権が,原則として,公権力によって侵されてはならないものであるという視点が示されている。

(2) また,具体的な人権の記載についての他社教科書の記載については,以下のとおりである。

 まず,男女平等については,女性が男性よりも不利に扱われる傾向にあるという問題点が指摘され,その原因として「『男性は仕事,女性は家事と育児』という性別役割分担の固定的な考え方が残っている」(東京書籍52頁)ことにあることが挙げられている。すなわち,性差別に対する批判的視点が,適切かつ明確に説明されている。このことは,その他の教科書も同様である(教育出版50頁,日本文教出版48頁)。

 また,生存権について,この権利を具体化させた「社会保障が充実していれば,私たちは,将来の生活に不安をもつことなく,自分の人生をあゆむことができます。」(日本文教出版54頁)として,生存権の重要性が説明されている。そのうえで,生存権を具体化させた制度として,生活保護の申請の流れについて,分かりやすく説明がなされている(東京書籍56頁,帝国書院52頁)。

 さらに,労働者の権利については,1週間の労働時間は40時間以内,1日の労働時間は8時間以内でなければならないとする労働時間規制や,1週間で最低1日は休日としなければならないという休日に関する規定など,「ワークルール」の重要部分が,分かり易く紹介されている(教育出版142頁,日本文教出版147頁,帝国書院137頁,東京書籍147頁)。

 女性の年齢別労働力率の推移についても,日本では,1980年代よりは改善してきたものの,他国との比較では,20代から30代の世代で労働率が落ちる,いわゆるM字カーブの特徴を有することにつき説明がなされている。そして,この背景として,女性が出産や育児を機に一度退職をせざるを得ないという点を指摘している(教育出版145頁,帝国書院138頁,東京書籍52頁,日本文教出版150頁)。

 さらに,過重労働による「過労死」が現在社会問題となっているが,日本の長時間労働が他の先進工業国に比べて高い水準にあることが説明され,労働時間の短縮が重要な課題として取り上げられている(東京書籍147頁,教育出版144・145頁)。

 以上のように,他社教科書は,具体的な権利についても,適切な説明をしている。

3 育鵬社教科書は,人権について特異な記載がされているか,著しく不十分な記載をしている

(1) 公権力からの人権の不可侵性という視点が示されていない

 育鵬社教科書は,まず,人権が公権力によって侵害されてきたという歴史的沿革に触れていない。また,人権が,公権力によって侵されてはならないものであるという視点をなんら明示していない。

 その一方で,育鵬社教科書は,他社の教科書に比べて,人権が制限されるということや国民の義務について,より多くの紙幅を割いて説明をしている。そして,権利には「責任」や「義務」がともない,あたかも,これらの「責任」,「義務」を果たさない場合には,当然に人権の制約が正当化されるかのような誤解を生じさせる記載がなされている(47頁)。しかし,憲法は,あくまで人権の擁護を目的とする立憲主義の理念に基づく法であるため,人権擁護より義務を重視するかのような育鵬社教科書の上記記載は,誤った人権のとらえ方をしたものである。   

 以上から,育鵬社教科書は,公権力からの人権の不可侵性という視点が示されていないし,立憲主義からみて人権について誤ったとらえ方をしている。

(2) 諸権利について,育鵬社教科書は他社と比較して,特異な記載がなされているか,記載が著しく不十分である

 諸権利についても,以下のとおり,育鵬社教科書には特異な記載や不十分な記載が目立つ。

ア まず,法の下の平等(日本国憲法第14条)については,「行きすぎた平等意識は社会を混乱させ,個性を奪う結果になることもあります。」(56頁)といった,差別が許される場合をことさらに取り上げて説明し,平等権があたかも重要な権利でないかのような誤解を生じさせる記述となっている。また,「憲法が保障する平等とは投票や教育,雇用などの機会が等しいという意味(機会の平等)です。」(56頁)と断定している。これにつき,社会的経済的弱者に対してより厚く保護を与えることで全ての個人が同等の自由と生存を保障されるという,実質的平等(結果の平等)の理念が,社会福祉の観点から極めて重要であるところ,このような理念が,あたかも憲法上とるに足らないものであるかのように記載されている。

 また,男女平等については,性差別の温床となっている,性別役割分担の固定的な考えに,触れられていない。そして,男女平等に関する単元において文脈に合致せず不自然に,男女共同参画社会とは「男女の違いを認めた上で」成り立つものであるとしており(57頁),男女の違いに殊更着目した記載がなされている。

イ 次に,表現の自由につき,侵害例として,検閲など日本の事例は示さずに,「中国の作家劉暁波」が一党独裁体制廃止などを呼びかけたことで懲役11年に処された事例を示している(55頁。なお,日本国憲法の制定の項にてGHQによる検閲は示している。)。

ウ また,生存権につき,本文とは離れて欄外に,「生活保護受給者のギャンブルの実態について伝える新聞記事」(63頁)を掲載している。これは,子どもたちが,生活保護を受給していることがあたかも好ましくないことのように受け取りかねないうえ,生活保護を受給する者に対して不当な差別的感情を抱きかねない。すなわち,生存権が,人間らしい生活を受ける権利として重要であることを理解することができない記載となってしまっている。

エ さらに,労働者の権利についても,数々の問題のある記載がみられる。

1つ目として,労働基準法の具体的内容はブラック企業のなすがままにならない上で重要であるところ,本文に説明はなく,表の中にわずか「1日8時間労働制」の一言があるにとどまる(139頁)。

2つ目として,「過労死」の言葉こそあるものの,他の先進工業国との比較で日本の労働時間が長い旨の資料を欠き(139頁),問題の所在が不明確である。

3つ目として,女性の年齢別労働力率の推移についても,年代別のグラフのみを掲載するのみで,他国との比較を紹介しないため,国際的にみると,日本においていわゆるM字カーブの特徴が未だみられることにつき説明がなされていない。このため,女性が出産や育児を機に一度退職をせざるを得ないという,M字カーブの問題における歴史的・社会要因が全く説明されていない(57頁)。

4つ目として,非正規労働について,「サービス産業の雇用が拡大したこともあり,企業は・・・非正規労働者を多く活用するようになりました。」(137頁)としており,非正規労働があらゆる産業に蔓延しているにもかかわらず、主にサービス産業のみの問題であるかのような記載をしている。また,「特に30歳未満の若者の間で,正社員と非正規労働者の所得格差が拡大し」ている(138頁)と記載されているが,同頁に掲載されている「雇用形態・・・の違いによる年齢階級別月収」のグラフをみると,若年から年齢が上になるにつれて所得格差はより拡大していることが分かる。このような不正確な説明から,非正規労働の問題の重大さについても,不正確な理解に繋がるおそれが高い。

4 以上のように,人間であることにより当然に有するとされる固有の権利である人権が,公権力によって最も多く侵害されてきたという沿革から,公権力から不可侵であるべきという非常に重要な原則が,育鵬社教科書では欠落している。また,憲法に規定されている人権についての記載も,育鵬社教科書は,他社と比較して,特異な記載がなされているか,記載が著しく不十分である。

 これでは,子どもたちに,人権の重要性や人権の内容が適切に伝わらず,義務や責任ばかりが教え込まれるおそれがある。

 このため,育鵬社教科書は,中学校教科書としてやはり不適切と言わざるを得ない。

第4 平和主義に関する特異な見解の強調

1 平和主義に関する憲法上の標準的な理解

 平和主義(日本国憲法第9条)について,憲法学の標準的な理解は,「日本国憲法は,第二次世界大戦の悲惨な体験を踏まえ,戦争についての深い反省に基づいて,平和主義を基本原理として採用し」たと説明する(「憲法【第七版】」芦部信喜・54頁)。すなわち,平和主義は,先の戦争に対する反省をふまえ,日本国民の平和への希求が顕れたものであるというのが,憲法学の標準的な理解である。

2 他社教科書の平和主義に関する記載は,憲法学の標準的な理解に即している

(1)この平和主義について,他社の教科書においても,「なぜ,このような(注:日本国憲法第9条)内容が憲法に掲げられているのでしょうか。それは,日本がかつて戦争によって,他国の人々の生命や人権を奪い,また日本国民自身も同様に大きな被害を受けたことで,その悲惨さを痛感し,深く厳しい反省をしたからです。」(教育出版72頁),「日本は,太平洋戦争で多くの国々,なかでもアジア諸国の人々に対して多大な損害をあたえ,日本の国民も大きな被害を受けました」(東京書籍46頁)と説明されている。また,「日本は,第二次世界大戦中,アジアや太平洋の国々に多大な戦禍を与えました。また,国内においても,全国各地での空爆,沖縄での地上戦,二度の原爆投下など,大きな被害を出しました。・・・この平和主義の規定は,日本の国家権力に向けたものであると同時に,武力行使に関する日本の立場を海外に向けて示す外交宣言でもあります。」(帝国書院39頁)などと説明されている。

 このように、他社教科書では、平和主義の理念に関する歴史的経緯が適切に説明されている。

(2) とりわけ,日本は,世界で唯一,核兵器による惨禍を経験しており,これが平和主義の根幹の1つである。そして,この悲惨な経験を礎として,日本は,核兵器を含めた軍縮を進めて平和を希求すべく,国際社会において重要な役割を担っている。

 これについて,各社の教科書においても,「広島と長崎に投下された原爆の悲劇が示したことは,核兵器はひとたび使用されれば,途方もない規模の破壊を招くということでした。」(帝国書院181頁),「原子爆弾が,いかに言語を絶する惨禍であるかを知る私たちは,人類を核兵器の脅威から解放することを強く訴えなければなりません。」(日本文教出版197頁),「戦争を防ぐためには,軍縮を進めることが必要です。」(東京書籍201頁)と記載されている。

(3) 以上のように,他社の教科書の平和主義に関する記載は,先の戦争への反省をふまえて平和主義が規定されたとされており,また,核兵器による惨禍を含め,戦争の経験を礎に世界平和を希求することの重要性が記載されており,憲法学の標準的な理解に即した記載となっている。

3 育鵬社教科書は,平和主義について,不正確か著しく不十分な記載をしている

⑴ 育鵬社教科書は,平和主義が押し付けられたものにすぎないと説明している

 これに対し,育鵬社教科書は,日本国憲法において平和主義が掲げられることとなった沿革をまったく説明していない。

 すなわち,育鵬社は,「第二次世界大戦に敗れた日本は,連合国軍によって武装解除され,軍事占領されました。連合国軍は日本に非武装化を強く求め,その趣旨を日本国憲法にも反映させることを要求しました。」(48頁)と説明するのみで,先の戦争の反省についてなんら言及していない。そればかりか,戦争放棄や戦力不保持が,連合国軍によって押し付けられたもののような記述がなされている。さらに育鵬社教科書は,平和主義だけでなく,日本国憲法自体が連合国に押し付けられたものであるという記述に,多くの紙幅を費やしている(41頁)。

 これでは,先の戦争の悲惨な経験から平和主義がようやく規定され,国民が戦後70年以上にわたり平和を享受できたということが,全く子どもに伝わらない。むしろ,平和主義が,他国から押し付けられた,とるに足らないものであるかのように伝わるおそれさえある。

⑵ 育鵬社教科書は,原爆の経験やそれに基づく核兵器を含めた軍縮の重要性について全く触れていない

 育鵬社教科書において,原爆に関連し,広島の原爆ドームの写真の掲載があるのみで(48頁),戦時下において核兵器による惨禍を経験した記載が,一切ない。また,軍縮に関連しても、「核兵器がこれ以上広がらないようにするために」(190頁)という記載があるのみであり,現に世界に多数存在する核兵器を減らすという観点がなく,すなわち,核兵器を含め軍縮を進めることで平和を希求するという観点が,一切ない。

 これでは,日本が世界で唯一原爆による惨禍を受けた経験を有するということを学ぶことができないのみならず,この経験をふまえて日本が世界において担うべき,核兵器を含めた軍縮を進め平和を実現するという重要な役割について,全く学ぶことができない。

4 以上から,育鵬社教科書では,子どもたちに,平和主義の大切さが伝わらない。このため,育鵬社教科書は,中学校公民教科書として不適切と言わざるを得ない。

第5 結論

 教育は,子どもたち一人一人の人格の完成を目指して行われる営みであり(教育基本法の改正前後を通じ,この点は全く同様である。同法第1条),個人の自己実現,個人の尊厳(憲法第13条)の実質的保障を究極的目的とするものと考えられる。その教育が,秩序の形成・維持・強化といった,ときの政治権力の思惑に絡めて行われるとすれば,それが深刻な個人の尊厳の否定をもたらすことになることを,わたしたちは歴史から学んでいる。

 育鵬社教科書は,これまで述べてきたとおり,日本国憲法が規定されるに至るまでの,悲惨な体験や反省をまったく踏まえていない。そして,我が国の根本法である日本国憲法の3大原理について,憲法学の標準からみても誤った説明をし,また読み手(子どもたち)に対して特異な見解ばかりを強調し,子どもたちを一定の方向に導こうとする意図が透けて見える。

 このような教科書を用いた学習指導を受けることにより,子どもたちが,憲法学の標準からかけ離れた見解にしか触れられずに育ちゆくとすれば,それは子どもの学習権の侵害にほかならない。

 わたしたちは,法律家として,このような事態を見過ごすわけにはいかない。子どもたちが,日本国憲法制定までの歴史や憲法学の標準を適切に学んだうえで,どんな大人にも恣意的な誘導をされることなく,それぞれの子ども一人一人の可能性を自由に発揮していくことのできるような教育を受けられるよう,切に願うものである。

 ここに,各地の教育委員会等がこのような問題のある教科書を採択することのないよう強く求めて,わたしたちの意見を表明するものである。

 以上

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